太田直美さんのちょっといい話

2023年1月発行/第114号

はまなすの会 代表

がんをはじめ、医療や介護の
困りごとを地域でサポートしよう

太田 直美さん(おおた・なおみ)

1961年生まれ。20歳で看護師免許所得。以降看護師業務をこなしながら家事と3人の子どもを育てる。47歳のとき急性骨髄性白血病となり、49歳で骨髄移植を行う。その経験上、がん患者サポート体制の必要性を強く感じ、賛同者を得て2017年「はまなすの会」を立ち上げ、2022年4月退職を機に「はまなすの家」を開設。

 

同じ悩みを抱える人と語り合うことで気持ちがふっと軽くなる……とりわけ深刻な病気のがんについて常時支えてくれる人や場所があれば、大変心強いものです。当財団事業「ボランティア活動助成」の今年度助成団体である[はまなすの会]は西播磨エリア初のがん患者会として、新たな生き方を見つける憩いの場所活動を行っています。代表の太田直美さんにお話をお聞きしました。

 

退院後こそ、共感できる仲間や
助けがほしかった

30年以上看護師を務め、かつ、がんサバイバーでもある私は、その両方の経験からがん患者会[はまなすの会]を立ち上げました。看護師になったきっかけは幼少期より耳鼻科通いが日課で、その仕事ぶりに憧れたことと、農家の女きょうだいの長女ゆえ、「あんたは家を守らなあかん。男と同じように仕事せなあかん」と言われ続けて育ってきたため、結婚して子どもが生まれても正職にこだわりました。子育てしながら、夜勤をこなすのはとてもしんどく、くじけそうになりましたが、それでも辞めなかったのは自立した女性でありたいし、娘たちにもそうなってほしいと願ったからです。
そんな私に突然襲いかかったのが血液のがんである急性骨髄性白血病でした。今でこそ、成績の良い治療薬が開発されていますが、当時「あなたの場合の成功率は50%ですが、骨髄移植しか助かる方法はありません」と言われました。移植の準備段階として、がん細胞を減らすための抗がん剤治療(完全緩解)を行い、主治医は「この治療では一番優しいのでそう副作用もありませんよ」と言いましたが、脱毛以外のありとあらゆる副作用が……。仕事で抗がん剤治療に携わったことはありますが、「こんなにつらいものなのか」とつくづく身に染みました。
移植直前には大量の抗がん剤投与と全身への放射線照射を行い、わずかに残っているがん細胞を叩き、その後にドナー様から頂いた骨髄を血管から入れるのですが、この副作用もさらにきつかったです。移植した骨髄により、正常な血液細胞を作ることができ、3か月後に退院しましたが、体重は16キロも減ったまま。ペットボトルの蓋が開けられないほど体力が衰え、室内では這って移動する状態でした。同居家族はいても日中はひとりのことが多く、家事をする体力も気力もありません。誰かに助けてほしいけれど助けてもらえる人もいず、自然と他人に対して壁を作っていました。入院中は他の患者さんとおしゃべりし、慰めあうことができますが、退院後のほうが思うように良くならない不安や恐怖、孤独を強く感じましたね。
その後、情報収集と体慣らしを兼ねて、兵庫県内の患者会をくまなく訪ねましたが、どこも自宅から遠いところばかりでした。日本は医療水準の地域格差をなくすことに力を入れていますが、がん患者のサポートについては格差が大きいことに気づき、2017年、賛同者と一緒にがん患者会「はまなすの会」を立ち上げました。

地域で仲良く助け合う
憩いの場所づくりを

定例の活動として一般的な医療や介護に関する講演会を月1回のペースで開催しています。住民が身近な医療や介護について学ぶことは自身や家族に役立つだけでなく、医療従事者のストレス軽減につながるものです。その講演会の前には当事者等が集まる「がんサロン」を開くほか、毎月第3金曜日は主治医に聞きにくい悩みなどを医師に聞く「がんメディカルサロン」を開催しています。このようなサロンでは同じ経験をした人同士が出会うので、悩みや不安を共有でき、気持ちが癒されます。また医師から具体的なアドバイスをもらうことで、長年の疑問が解決したり、生きるベクトルが変わるケースもあります。現在、行政と連携して佐用にもサロン活動が拡がっています。
しかし、月1回の開催では予定が合わず、サロンに参加できない人が結構おられました。私自身、日常生活を取り戻すにはいろいろな援助を受けながらつらい状況からいち早く抜け出すことが大事だと経験しました。そこでいつでもがんピアサポートができる場所をつくろうと、クラウドファンディング等の支援をいただき、2022年4月[はまなすの家]を開設しました。
一部のがんは治すことが可能な病気となりましたが、治療の影響による後遺症など、大半は元の体に戻りません。その事実を受け入れ、いかに自分なりの答えを見つけていくか、難しい問題です。また、年齢や認定の基準がネックとなり、公的な扶助サービスが使えないことも深刻です。そのような状況に少しでもお役に立ち、地域のいろいろな人が気軽に集い、仲良く助け合う場所になれたらと願っています。

 

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