神戸星城高等学校コンピュータ部の物語り

勇躍 -新長田から日本、そして世界へ-

コープこうべ職員 長谷川 善久

 

神戸星城高校のコンピュータ部はインターネット上で店巡りの疑似体験ができる「バーチャル商店街」を制作し、新聞やニュースで有名になった。あれから6年が経つが、新たなチャレンジに向かっている。

神戸星城高校の前身の神戸女子商業高校は、JR新長田駅南の大正筋商店街にあった。しかし1995年の阪神・淡路大震災に遭い、同市須磨区に移転。校名も神戸星城高等学校となり、共学になった。

震災後、同部の顧問、延原宏教諭は岡山の公立高校に移り、13年後に神戸に戻って来た。「もともと決まっていた転勤とはいえ、被災した生徒たちに何もできず神戸を離れたことが、非常に心残りだったんです」と語る。

久しぶりの故郷である大正筋商店街は、高齢化が進み、かつての賑わいもなかった。生徒たちがいなくなって淋しそうな商店街。一念発起し、彼は地域と生徒を繫げる復興を目指す。

バーチャル商店街は、インターネット上であたかも商店街を歩いているような疑似体験ができる。5メートルおきに景色が変わり、各店舗をクリックすると、営業時間や店舗情報などが表示され、買い物も出来る。店主と共同でCM作成も行い、完成度の高いウェブサイトだ。

すでに大正筋商店街、六間道商店街、本町街商店街、西神戸センター街の4つのバーチャル化を終えている。新しい取り組みとして、新長田再開発で建設予定の合同庁舎職員をターゲットにした地域情報誌「FULLBUL(フルブル)」の製作も始めた。地域貢献の一環として、近隣地域住民対象のパソコン教室も精力的に行っている。

取材当日もパソコン教室を覗かせてもらった。生徒たちが主体となって、行われていた。生徒たちが自発的に企画・立案し、実行し、検証を繰り返す。P(プラン)D(ドゥ)C(チェック)A(アクション)サイクルが出来上がっている。生徒たちは、バーチャル商店街制作を通して、情報収集能力や対面技術を取得し、ビジネスセンスとコミュニケーション能力を身に付けたのであろう。頻繁に行われたグループディスカッションで培われたメタ認知(客観的自己分析)能力も高い。地域活性化の手助けが出来ているという達成感が、生徒たちをより積極的に成長させている。

「公立と私立の学校は違うんです」と彼は言う。

神戸星城高校は私立学校で、生徒の居住エリアが公立学校より広い。そのため近隣地域出身の生徒は公立学校よりも少なく、近隣地域との関係性が希薄になりやすい。バーチャル商店街や地域情報誌の制作、パソコン教室を通して地域貢献をする。それをアイデンティティーとし、次のチャレンジのモチベーションへ繫げる。地元愛がベースの「延原イズム」が継承され、延原ファミリーがどんどん巣立っている。

ICT技術を活かすために企業の開発部門に進む生徒も多く、地域活性化を担うために自治体への貢献を希望する生徒もいる。

最近は、教え子から連絡はあるものの忙しくて、なかなか顔を見せに帰って来ない。そんな状況を淋しく思うが、嬉しくも思う。研究・開発に没頭している証拠だと誇りに思う。

新長田の商店街を元気にしてきた教え子たちが日本を元気にし、世界で活躍する日を確信している。彼の強いまなざしを見ていると、その日がそう遠くない未来だと思えた。

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赤穂市地域活動連絡協議会の物語り

創造 -子どもたちが安らげる場所を目指して-

コープこうべ職員 長谷川 善久

赤穂市地域活動連絡協議会が行っている、あこう子ども食堂は、放課後の子どもたちの居場所を提供されています。

フードバンク関西、フードバンクはりま、コープこうべからの食材支援を中心に、地域住民や飲食店、高校調理部からの食材提供などで運営されています。

代表を務めるのは岩﨑由美子さん。「たくさんの大人が、自分たちのために何かをしてくれる。そのことが子どもたちの心を満たすと思います。子ども食堂に来ることで、学校が楽しくなり、友達とも上手く関われるようになった。そんな声を聞くと、コミュニティの大切さを感じます」と言います。

おいしいものがあって、友達がいて、楽しい時間が過ぎていく。何をするわけでもなく、みんなが笑顔でいられるところ。昔、近所のおっちゃんやおばちゃんに悪いことをして怒られた。そんな「居場所」が、経済的・精神的貧困の特効薬だと感じています。

たくさんの人に共感を持ってもらっている理由を尋ねたところ、「みんながしたかったことを、私が代表してやっているだけ。だから、みんなが助けてくれているんじゃないかな」と笑います。自分ひとりの力では限界がある。でも、たくさんの人に活動を知ってもらい、助けてくれる人に助けてもらう。この輪がどんどん大きくなって、今日に至っている。そして、常に感謝を忘れない。

取材当日も、お米やじゃがいも、カレールウなど、たくさんの差し入れがありました。子ども食堂に来ていた子どもたちの多くは、小学生から中学生になってもボランティアで手伝いに来てくれるそうです。

この日も一人の女の子が奏でるピアノの音色が心地良かったです。私も岩﨑さんの人柄の良さ、人を惹きつける魅力を感じました。

「継続することが大切なんです」と、岩﨑さんは言います。

こうでないというガイドラインはきちんと決めない。大まかなことしか決めない。メンバーの出入りも自由。フレキシブルがモットーだそうです。試行錯誤を繰り返して向かうべき方向を模索する。ただ、メンバーとの話し合いは徹底的に行うそうです。

みんなに大変だねと言われるが、自分自身ではそんなに大変だとは思っていない。「大変なことはしてないです。それにちゃんとしてないですよ」と笑います。「志し」が、かなり高いところにあると感じました。

あこう子ども食堂は、既存の子ども食堂の枠にとらわれない、全く新しいこども食堂になっていく。まだまだ先にある、岩﨑さんが目指すゴールを目指して。これからもたくさんの人の協力で、あこう子ども食堂は素晴らしい居場所になっていくと感じました。

昭和の香りがする「お母ちゃん」の笑顔がとても印象的で、本当に素敵な居場所でした。

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NPO起立性調節障害ピアネットAliceの物語り

支えあって希望に向かって

ワクワクする仲間を創る会 宝山敏

 「『はよ起きんと、学校遅れるよ!』と声を掛けても、なかなか起きてこない。学校に行かせるために、中学生の娘をどうにかして起こすことが毎朝の日課でした。部屋に見に行くと、娘は蝋人形のように血の気が感じられない様子で寝ています。ただ事ではないことがこの子に起こっているのでは?と不安になる日々。でも、午後には体調が良くなりいつも通りに。いろんな病院を受診したものの、原因はわからず。朝起き上がれないのは自分が悪い・・と落ち込んでしまう娘を見て、親も一緒に悩んでいました。

そんな中、現在、『NPO起立性調節障害ピアネットAlice』代表の塩島さんが、ブログにこの症状について書かれているのを見て、「娘と同じ。これなのかも! 」と連絡を取りました。オフ会に参加して専門医がいることを初めて聞き、連絡するも予約はいっぱい。約半年後、ようやく「起立性調節障害※」と診断されました。娘も私も自分の頑張りが足りないのではないと安心し、精神的苦痛から解放されました」。

こう語るのは、「NPO起立性調節障害ピアネットAlice」副代表の碓井理恵さん。同団体は代表の塩島さんと、ブログを通じて知り合った親たちが、この病気についての周知、理解を広げたいと立ち上げたそうです。

  代表の塩島さんから情報提供

同団体は、毎月1回、第2土曜日の午後から、「カフェAliceの会」を神戸市立青少年会館で開催しています。「カフェAliceの会」は、参加したい時に参加できるオープンな空間です。訪問した日には、大人22名と子ども8名が参加。長年来られている方から、初めて参加する方までいて、先輩たちからアドバイスが聞けたり、思いを吐き出せ、悩みをわかち合える仲間がいる場があることで心が救われます。

「カフェAliceの会」には、親だけでなく、子どもも参加できます。子ども達は別の部屋で、「今どんな感じ?学校はどうしてる?」「私が通っている学校はこんなことできるよ」など、情報交換や今の悩みを打ち明けたり、当事者である自分たちにしかわからない思いを話し合っています。

2018年10月

 

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浜・川・山の自然たんけん隊の物語り

伝承 –語り継いでいくもの-

長谷川善久(コープこうべ職員)

1/6(土)新年最初の土曜日の朝、私は、夙川河口にいました。「浜・川・山の自然たんけん隊」の定例活動日です。
このグループは、夙川河口の御前浜・香櫨園浜の清掃や自然観察会などを通じて、貴重な自然海岸の生物多様性の保全に取り組んでいます。また、津波避難訓練なども行っています。阪神淡路大震災の死者のうち、約2割が西宮で亡くなっています。その教訓を踏まえて、率先避難者になるためです。自然の豊かさを守り、自然の怖さを知り、自然と共生できる社会を作っていきたいという熱意を持って活動されています。この日も、親子を含めた合計19人での活動となりました。

海岸に降りてみると、最近のごみに混じって、ぼろぼろのプラスチックごみが多いことに気付きました。これが「マイクロプラスチック」になると言われています。波や潮の満ち引きで海岸に打ち上げられ、太陽の光に当たったり、砂にもまれたりして、小さく砕けていく。そして、波や潮の満ち引きで海へ戻っていき、どんどん広がっていく。その小さな粒子の表面にさまざまな有害物質が付着し、食物連鎖の様な形で、海の生き物に汚染が広がる可能性があります。
事務局長の粟野真造さんは、「この浜のごみが世界中の海を汚染し続けて欲しくないんです」と、懸念しています。約1時間の活動で、可燃ごみ14キログラム、不燃ごみ1キログラムの合計15キログラムのごみ撤去ができました。

この日は松の内。清掃活動の後は、日本伝承遊びの「貝合わせ」をしました。はまぐりの貝殻を並べて、ひとつの貝殻に合う貝を見つけるという、現代の神経衰弱に似た平安貴族の遊びです。貝殻の内側には、源氏物語などの優美な絵が描かれています。はまぐりは、対となる貝殻としか組み合わせることができません。そのため唯一無二のペアとして、夫婦和合の象徴とされ、貴族の嫁入り道具のひとつでした。
西宮自然保護協会事務局長の大谷洋子さんのご指導のもと、自分たちの現代版貝合わせも作成させていただき、子供たちと一緒に雅な遊びに興じました。

 

事務局長の粟野真造さんは、福祉介護関係の仕事をされています。「きれいな景観を見ると、どんな人でも笑顔になるんですよ。その笑顔を見て、周りの人も笑顔になるんです。きれいな景観には、癒しの効果があるんです。その効果に勝る薬なんてないんですよ」


その優しいまなざしに、私の心も癒された気がしました。御前浜・香櫨園浜が、今よりも素敵な浜になっていくことを祈りつつ、必ずそうなっていくと確信を持ちました。
このグループの活動は、かつて日本人が大切にしてきた自然への畏敬の念や、その文化を後世へ伝達し、継承していくというかけがえのないものだと思います。
私もできる範囲で、できることをして、このグループの活動を応援していきたいと思います。

2018年1月

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動物と共生するまちづくりの会の物語り

「飼い主のいない猫」の
トラブル解決に向けて

西保 昇(コープこうべ職員)

10月1日(日)、明石の魚の棚商店街で開催された猫の譲渡会を訪問し、主催者である「動物と共生するまちづくりの会」から、「地域猫活動」についてお話を聞きました。

飼い主のいない猫は、人間に捨てられたり、迷ったりした猫が繁殖したもので、その猫をその場から排除するだけでは時間がたてば元の状態になり、根本的な解決にはなりません。
「ネズミ算」ならぬ「ネコ算」という言葉があるそうで、メス猫は生後6か月~12か月で子猫を産めるようになり、年に2~4回出産し、1回に2~6頭の子猫を産むため、単純計算すると1頭のメス猫が2年後には70頭以上になるそうです。驚きですね。
飼い主のいない猫が増えると、「猫は迷惑(糞尿、鳴き声等)」という声と「猫が可哀そう(空腹の猫を助けたい、不妊手術にはお金がかかる)」という声が出て、住民同士のトラブルとなり、引っ越しをせざるを得ない事例もでてきています。

そうしたなかで、「地域猫活動」は、猫に去勢・不妊手術を施し、元の場所に返し、餌やトイレの管理をし、一代限りで自然に数を減らしていこうという活動です。
餌は決まった場所でやり、置き餌をせず、猫好きな方の庭や迷惑になりにくい場所にトイレを作り、トイレ周辺の掃除を行う。こうしたことを地域で取り組むことで、猫と一緒に暮らせる社会に近づけようとしています。
さらに、動物の遺棄、虐待は犯罪であることの啓発普及や、動物のいのちを通して、子供たちに「いのち」の大切さを伝え、いじめの無い社会づくりをすすめています。「動物と共生するまちづくりの会」は、活動の理解を深める説明会や「猫の捕獲、避妊手術、元の場所に返す」等のお手伝いをしています。

市民による要請活動の成果として、明石市には「飼い主のいない猫の去勢・不妊手術助成金制度(雄5千円、雌1万円上限)」もできましたが、一般に手術代はその倍以上かかるので、獣医師の協力も仰ぎながら、地道に活動を進めておられます。そして昨年度、捕獲・手術した猫はおよそ400頭にのぼります。

「飼い主のいない猫」の問題だけでなく、生体販売にも問題があり、猫の健康や福祉に十分配慮するブリーダーばかりでなく、命ある猫をモノのように劣悪な環境で生産する繁殖業者、気軽に購入しては飼えなくなったと捨てる無責任な消費者、収容した犬猫を「殺処分」する行政等々、我が国の課題は大きいですし、先進諸国の中では遅れているようです。こうした背景も踏まえながら、 地域猫活動のなで保護された猫や、捨てられ保護された猫たちに温かい家族を探す「保護猫の譲渡会」が開催されました。(写真)

人も猫も共に生きることのできる社会を目指して!
興味のある方は、インターネットで「動物と共生するまちづくりの会」と検索してください。

2017年10月

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なだ・ワークライフカフェの物語り

今思っていることを声に出してみるだけで

そこから何かが変わることもある

西條慶子(コープこうべ職員)

●「小学校に上がったら、何時に下校するの?」「学童保育はいろいろあるけれどそれぞれ何が違うの?」「警報発令時、学級閉鎖のときにはどうするの?」「PTAの活動ってどんなの?」そんな質問が次々と聞こえてくる。

訪れたのは、神戸市灘区大和町のサポートステーション灘・つどいの家。
「なだ・ワークライフカフェ」主催の『小1の壁ってなんだろう』のイベントだ。

参加者は、自分の子どもが小学校に就学したときに、どのような環境変化が起こるのか漠然と不安をもった働くママたち。
「身近に頼れる人がいない」「自分のキャリアも考えたいが子育ても手を抜きたくない」抱える背景は様々だ。
今はネットなどで子育てに関する情報はあふれていて簡単に入手できるけれども、本当に欲しいのは育児に関する地域の生きた情報と同じ年代の子どもを育てる親同士の出会いやつながりだと参加者はいう。

「なだ・ワークライフカフェ」代表の鴨谷さんの陽だまりのような暖かな進行のもと、先輩ママのさまざまな経験談がこぼれだし、参加者もついつい自分の悩みを打ち明ける。
ここでのルールは、①言いたくないことは言わない②自分の考えをおしつけない③個人情報は外に出さないの3つである。

悩みを共有する、話を聞いてくれる、共感しあえる仲間がいる、それだけで気持ちが楽になる・・・
イベントが終わるころ、参加者は満たされた表情に変わっていた。

 

●なだ・ワークライフカフェを運営する4人も、同じ悩みを抱える働くママ。

自分が困っていることは、今、誰かが困っていること。誰かの役に立ちたい。
自分はこうしたいんだ!と気づくことのできる場づくりが好き。
親子で楽しむレクリエーションが好き・・・
運営者の想いは様々だが、単純に自分がやりたいことだから、自分の成長にもつながるからという想いは共通で、それが活動の原動力になっている。

自分たちが仕事で培ったスキルを惜しみなく提供し、チームワークで仕事をこなす。決して無理をせずできる範囲で活動することが、活動を持続させるための信条だという。

仕事と家事と育児に追われながらも、もっと子供と一緒に楽しみたい、自分自身の成長のために学びたい、子育てに関する生きた地域の情報を仕入れたい・・・そこに運営者と参加者の垣根はない。

●子育てに関する悩み、自分自身のキャリアに関する悩み、いろんな悩みがあるけれども、これって、本当はこうありたいっていう理想や願いがあるから。その実現のために、みんなで教えあい、助け合えるつながりがあるって、とても素晴らしい。私も何かできそう・・・。同じ働く母親として、胸に迫るものがあった。
「今思っていることを声に出してみるだけで、そこから何かが変わることもある」鴨谷さんの言葉が心に残る。

 

あとがき)
なだ・ワークライフカフェでは、今回のイベントに限らず様々なイベントを開催しています。
ぜひ、こちらのホームページをのぞいてみてください。新たな出会いが待っているかも。
http://nadaworklifecafe.wixsite.com/mysite

2017年11月

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“七丁目クラブ”の物語り

こころの山小屋

七丁目クラブ

中塚伸治(コープこうべ職員)

秋の雨が降るお昼前、垂水区高丸の坂道の途中にある、みんなの居場所“7丁目クラブ”を訪ねた。
落ち着いた住宅街をすすむと七丁目クラブと大書された手作りの看板が目に入る。
雨に濡れた玄関から明るいリビングへの扉を開けた途端、香ばしいカレーのかおりに包まれた。

“七丁目クラブ”代表の阿隨(あずい)章子さんは長年福祉の仕事に携わるうち
独居の方々と接する機会が増えてきたと話してくれた。
「家族に迷惑をかけられない」「子供に心配をかけたくない」「人としての尊厳やプライドを保ったまま老いたい」「ずっと家にいて今日一日誰とも話さなかった」どんな人の心の中にも孤独との葛藤があり、孤立と戦いながら生きている…。
そんな人たちの心の支えになりたいと思い続けていた阿隨さん。
ちょうど、ご近所の知り合いが転居されることになり、一軒家を借りられることに昨年末より念願の“七丁目クラブ”を立ち上げた。

はじめは週1回の喫茶から始めた居場所つくりだったが、ひょんなことから雀卓が手に入り
木曜日にはメンバーを募って健康麻雀、囲碁、将棋の会も持つ事が出来た。
将棋を始めたころには藤井四段の活躍もあり、やがて「子供将棋をしてみよう」「子供対象なら子育て中のお母さんたちの居場所にもなれるかもしれない」など少しづつ増えてきたメンバーの中から、いろんなアイデアが集まり現在は毎週2回以上の取り組みが安定して開催されるようになった。
おりしも訪問した当日はみんなで食べる月一回のカレーの日。雨の中でもメンバーが集まり、評判のカレーの仕込中であったようだ。
最初にコープともしびボランティア振興財団の助成を受けたことにより、地域で活動されている人たちと次々に知り合い、ネットワークがどんどん広がり、それに伴って活動も広がったのだという。

“七丁目クラブ”の居心地の良い室内には美しい花と山々の写真が飾られている。
うかがえば阿隨さんは趣味の登山で国内だけでなくトレッキングに海外の山々も訪れたという。
どこの山にも山を旅する人たちが一夜のからだとこころを休める山小屋がある。
そこはモノがあふれている街なかではないからこそ、人々は限られたモノを分け合い、同じものを食べ、一つ屋根の下でお互いに語り合い、疲れを癒し、そしてまた歩き出せる場所だ。
ここは誰もが素の自分に戻ることができる大切な場所なのだと阿隨さんは語る。
おはなしをうかがううちに、さしずめ阿隨さんはあらゆる人々によりそう山小屋の宿主なのだと思った。


お話を伺い辞去するころには、雨も小止みとなりあかりが差してきたようだ。
玄関外では小さな犬の縫いぐるみが赤いレインコートを着て見送ってくれた。
「七丁目クラブのマスコットです。雨の日はいつもレインコートで迎えてくれますよ」人とものを大切にする阿隨さんのこころづかいに触れた訪問になった。
“七丁目クラブ”という地上の山小屋は人生の山旅に疲れた人たちをささえる場として、これからもたくさんの人たちに大切にされていくと思う。

2017年10月

 

 

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“東灘こどもカフェ”の物語り

「愉快で楽しい多世代交流」を

キーワードに活動

山本 周作(コープこうべ職員)

 

「愉快で楽しい多世代交流」をキーワードに、東灘区で活動する「東灘こどもカフェ」。老若男女誰もが気軽に立ち寄れ、昼食をとることもできる地域の居場所「木洩童(こもれど)」の運営や、高齢者・子どもへの昼食配食活動、地域住民の生活の困りごとをサポートするなど、東灘区内における多世代交流の場と地域住民同士の助け合いの仕組みを作り出しています。

同団体が活動を開始したのは2011年。「子どもたちに食べ物に関心を持ち、食事を楽しんでほしい」という想いから、同団体の代表 中村保佑さんが友人たちとともに立ち上げました。

そこから活動の輪が広がり、今では子育て世代や高齢者なども集う、地域の多世代交流の場に発展。設立から2017年までの6年間で計800回を超えるイベントを主催し、小学生から高齢者まで延べ32,000人以上が活動に参加してきました。また、2016年度の年間の活動日数は363日にものぼるといいます。

この活動も、決してトントン拍子に大きくなったわけではありませんでした。活動を始めてから1年から2年の間は、居場所をオープンしても思うように人が集まらないこともあったとか。それでも、家族のように、頻繁に顔を出してくれる人が、訪れるようになりました。楽しく過ごす様子を見て、諦めることなく活動を続けるうちに、参加者が増え、やがて、参加者の中から要望や企画を持ち寄り、自ら実現するようになっていきました。

居場所に集まる誰もが皆を家族だと思う心を持ち、自分のできる範囲で活動の運営や参加に関わること、そして、常に開かれた活動であることが成功の秘訣。「この活動は、居場所に集う人たちの、ちょっと人に喜んでもらえたらという想いから生まれた行動が積み重なって成り立っている」と中村さんは言います。

最後に、中村さんに今後の地域づくりへの想いについて聞きました。「木洩童(こもれど)のような楽しく愉快な地域の居場所が、他のエリアでも中学校区に1つできるといいなと思う。地域には、開かれたスペースが必要だ」

地域住民の交流の輪、そして助け合いの輪がもっと広がるよう、東灘こどもカフェは活動を続けていきます。

2017年8月

 

 

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“ふれあい喫茶 希望~のぞみ~”の物語り

地域の方のお役に立てて

なおかつ自分たちも楽しめたら

野村乙恵(コープこうべ職員)

    

(代表:松岡博美さん /左側)

 

『ふれあい喫茶 希望~のぞみ~』は、コープ神陵台の組合員集会室で、2016年4月にオープンしました。

建物の構造上、わかりにくい所にあるにもかかわらず、訪問日には開店早々すでに10人近い方が来店されていました。窓がたくさんあり、明るく開放的なお部屋で、ゆったりとした雰囲気に包まれています。

オープン以来、少しずつファンが増え、毎回20~25名の方が来店、イベントのある時には50名位になることもあるそうです。おひとりでゆっくり本を読んだり、スタッフと話をされたり、顔見知りになられた方同士でお話されていたりと、各自思い思いにほっこり過ごされています。メニューは、コーヒーor紅茶(お菓子つき)で100円(この日は夏限定の甘酒もメニューに登場!)。地元の「NPO法人ポポロ」さん手作りのクッキー、ラスクも一袋100円で購入出来るコーナーもありました。

 

訪問した日は、夏休みとあって、魚釣りゲーム・ペットボトル輪投げなどの子ども向けの遊びコーナーが設けられていたり、スタッフのおひとりが絵本の読み聞かせをしたりと、子どもたちに大人気でした。

「また、来るね」と言って帰って行かれる人もいる中、入り口でモジモジされている男性も。「前から気になってたんやけど、女の人しか入られへんのかな?」と。スタッフに「どうぞ、どうぞ」と促されて席に着き、にこにことコーヒーを注文されていました。また“のぞみファン”が増えたようです。

 

代表の松岡さんに立ち上げの理由を伺うと、「地域の方のお役に立てて、なおかつ自分達も楽しめたら…」という思いからだそう。「まだ、助成してもらって、何とか収支が赤字にならない程度ですが、ここが拠点となって色々な地域の人達、他の団体の方達とつながっていけることが素敵だと思うんです」と話してくださいました。ご自身も地域のボランティア活動やくらしの助け合いの会のコーディネーターをする中で、人の縁が広がっていくことを実感されているからこその言葉だと思います。

 

「希望~のぞみ~」さんを拠点に人の輪が広がり、来店される皆さんの楽しみになることを願い、私もほっこりさせていただいて帰宅しました。

2017年8月

 

 

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“ミャンマー関西“の物語り

国際貢献を志して

「アジアの人達に何か貢献したい」

西保 昇(コープこうべ職員)

(代表の猶原信男さん)

ミャンマー関西は発足して10月で4年になります。代表の猶原信夫さんが国際貢献を志したのは、若いころから「アジアの人達に何か貢献をしたい」と考えてきたからでご自身の定年を機に行動に移しました。

ミャンマーを支援先に選んだのは、偶然でした。アジアの国々を回った後、神戸で外国人に日本語を教えるボランティアを始めて、最初に教えたのがミャンマー人だったのです。

以来、ミャンマー人から様々な相談を受けるようになり、ミャンマー本国の学校への支援も開始します。

(ミャンマー料理の講習)

ミャンマーでは、公立学校は授業料が高く、お金がなくて通うことのできない子供たちがたくさんいました。お寺が無料で学校を造っていますが、文具を買うこともできません。

そこで、ミャンマー第二の都市マンダレーに、最初(5年前)は鉛筆を持っていって配りました。その際、コープサークルのお世話にもなったそうです。2年目は鉛筆とノートを配布3年目は現地で遊戯と紙芝居をしたそうです。仏教国のミャンマーでは、「一休さん」が大層受けたそうです。

現在、学校不足を補うための移動図書館を構想中ですが、問題は車両の調達です。現地では高いので、お金と中古車の確保が目下の課題。9月にはマンダレーに行って協議をします。

現地と在日ミャンマー人への支援を行いながら、日本人にミャンマーについて知ってもらう活動もすすめます。10月10日(火)14時から、「ミャンマーの歩き方」セミナーを神戸生活創造センターで開催します。日本ではミャンマーについてあまり知られていませんが、この機会に、ぜひ関心を持ちたいものですね。

2017年8月

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“心”の物語り

気軽に立ち寄れ、

だれもが疎外感を感じない居場所を目指して

春長 淳一(コープこうべ職員)

「心家」という憩いの場が、阪急川西能勢口駅前の路地裏にひっそりとある。昔ながらの民家で、庭先に「心家」と書かれた看板が立てられている。

そこは、だれかと繋がりたい方、心に悩みを持つ方、休憩で少し立ち寄ってみた方など、毎月100名を超す人が様々な理由で立ち寄る。

現在、20名のボランティアスタッフが在籍しており、常時4~5名が交替で訪問者の対応を行う。

心家は、ボランティアメンバーが「心の問題に関心があったり、社会的な問題に何かの形でアプローチ出来れば困っている人に寄り添えるのではないか」という話し合いから誕生した。だから、気軽に立ち寄れ、だれもが疎外感を感じない居場所を目指している。そのために、公民館や会議室ではなく「普通の家」という居場所にこだわった。

 

私自身、中に入った瞬間のスタッフさんや利用者さん達のアットホームな雰囲気に驚いた。「これは民家でないと出せない温かさだ」と素直に感じた。

取材の中で、もう一つ興味深かったのが、私も今、別のところで関わっている「子ども食堂」についてだ。子ども食堂とは、子どもが一人でも安心して来ることができる無料または低額の食堂だ。現在、全国に広まっており、食事を大勢で食べ、賑やかな時間を過ごす。これは、子供達の発育にもいい影響を与えている。

 

心家さんでも月に一度、同様のイベントを開催しており、毎回5,6名の子供達が参加する。利用料も100円と子ども達には嬉しい金額だ。しかし、子ども食堂をオープンした当初は1~2人の参加しかなく、ゼロという時もあった。そんな時でもスタッフ間で決めたことは「継続し続けること」である。「ご飯を一人で食べたり、コンビニ弁当で済ませる子ども達にきてほしい」という思いだけで、2年間やってきた。

その間、神戸新聞や川西市の広報紙の取材をうけ、少しずつ地域住民に認知されるようになった。そして、食材を無料で提供してくれる農家やコープとの繋がりもでき毎回安定して子ども食堂をオープン出来ている。

スタッフの方とのお話の中で印象的であったのが、「これからの心家をどのような居場所にしていくか」についてである。現在、心家はみんなの居場所として、地域の憩いの場ともなっている。スタッフ間、利用者間でもどんな立場の人が来ても共感し、認め合うことが大切であると教えて頂いた。

 

 

最近では、利用者の中で悩みのある方から困りごとや相談を受けることも増えてきた。「でも、静かにお話が聞けるスペースがなかなかとれなくて。しっかりお話を伺いたいけれど・・」と取材当日の当番スタッフの関さん。今後、スタッフ全員でこのことについても話し合いたいとのこと。

関さんのお話を伺いながら、「居場所はたくさんあるけれど、心の問題や精神疾患に対して理解したいという思いのあるスタッフが、どこにでもあるものではない。そんな心家さんの強みをもっと活かせられたら・・」と思った。

2017年7月

 

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