梶木典子さんのちょっといい話

神戸女子大学家政学部教授・日本冒険遊び場づくり協会副代表

「やってみたい!」を実現できる
冒険遊び場は子どもの心身を育み、
まちの活性化に

奈良女子大学大学院人間文化研究科 修了、博士(学術)。神戸女子大学家政 学部教授。特定非営利活動法人日本冒 険遊び場づくり協会副代表、IPA(子ど もの遊ぶ権利のための国際協会)日本 支部事務局長、神戸市教育委員、兵庫 県青少年愛護審議会委員、神戸市公園 緑地審議会委員、「やさしさにありがと う ひょうごプロジェクト」選考委員等。

 

「近所の公園に集まって暗くなるまで遊ぶのが昭和の子どもとしたら、平成はアポを取り、習い事の合間に遊ぶ時代」。こう語るのは地域居住学の専門家・梶木典子さんです。子どもたちを取り巻く環境やこれからの子どもの遊び場、当財団への期待についてお聞きしました。

留学・震災の経験から
子どもの遊び環境の研究者に

住まいに興味のあった私は大学で住居学を専攻し、総合建設会社に入社。まちづくりに関わる業務に就いていました。結婚を機に仕事を辞め、海外留学する夫とともに渡米し、自分も大学院で都市計画を勉強しました。子どもの遊び環境に関心を持ったのはある幼い女の子との出会いから。アメリカは車社会でとくに郊外に住む子どもは自分の意思で自由に遊びに行ける環境ではなく、彼女も長い夏休みを持て余していました。一緒に遊ぼうと声をかけると、うつろな表情が一転し、目がキラキラ。子どもは勝手に遊ぶものと思っていた私にとってこの出来事は衝撃的で、子どもが遊ぶのに大変な社会ってどうなっているのだろうと思いました。
帰国後、大学院の後期課程に入り、在学中に出産。子どもが生後4か月のときに阪神・淡路大震災に遭いました。自宅マンションは半壊になり、しばらく実家に避難し戻ってきたものの瓦礫のまちではベビーカーは使えず、公園には仮設住宅が建ち、外遊びのできる環境ではありません。知り合いもおらず、親子で居場所を探しさまよっていました。孤独な育児でしたね。そんな経験から子どもの遊びに関わる研究をしようと決心しました。

冒険遊び場づくりの活動が各地に
遊びを届けるプレーカーに注目

大人は「子どもは放っておいたらどこでも遊ぶ」と思いがちですが、自由に外遊びができる環境でしょうか。公園は禁止事項が多く、道路は危険。習い事で忙しいので、細切れの時間しかありません。タテの関係づくりも難しいため遊びの伝承もなく、「子ども社会」が形成されにくくなっています。そんな状況に危機感を覚えた人たちが1979年、海外の冒険遊び場をヒントに羽根木プレーパーク(世田谷区)を開設。以降、全国各地でさまざまな冒険遊び場が作られるようになりました。共通するのは遊びを支援する大人(プレイワーカー)がおり、木登りや水遊び、土などを使った創造的な遊びや子どものやりたい遊びが思いきりできること。チャレンジしたり、工夫できる要素が多いので、やった!できた!という達成感が心に残りますね。
最近注目している遊び場として、移動型の冒険遊び場があります。遊び道具等が積み込まれた車をプレーカーと呼び、プレイワーカーが出張先で冒険遊び場を開設します。東日本大震災や熊本地震など大きな災害があったとき、遊びによる子どものケアとしてプレーカーが被災各地で展開。その機動性の高さから日常においても活躍の場が増えています。冒険遊び場に行きたくても行けない子どもがいるので、プレーカーが月1回でも近所に来たら、子ども達はふだんできない自由な遊びができます。子育てに悩む親も子どもの遊ぶ姿を見て安心しま
す。
私が理事をしている日本冒険遊び場づくり協会は、地域住民による遊び場づくり活動の中間支援を行っています。冒険遊び場が常設されているエリアには子育て世代の移住者が増えているという話も聞きます。遊び場づくりはまちづくりにもつながる活動で、私はここに魅力を感じます。日常生活の中に、子どもたち
の姿を感じ、子どもの遊ぶ声が聞こえ、笑顔があふれることの大切さを多くの人と共有できる、そんなまちであってほしいと思っています。
ともしび財団にはとりわけ若い人たちの活動に力を入れてほしいと思います。助成を受けたある若者グループは「自分たちの活動はまだこれからだけど、コープに認められたことがとても励みになった、もっと頑張りたい」と話
してくれました。頼もしいですね。財団の助成をきっかけに大きく羽ばたいてくれたらいいなと思います。誰もが安
心して暮らし遊び心あふれる社会をめざすために、きめ細かな支援をこれからも期待したいですね。

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