野崎隆一さんのちょっといい話

特定非営利活動法人 神戸まちづくり研究所 理事長

住民が主体になれるしくみと
合意形成がまちづくりのポイント

1967年神戸大学建築学科卒。東急不動産 (株)勤務。86年遊空間工房設立。震災後、 住民主体の復興を掲げて、住宅再建や復 興まちづくりに携わる。2000年(特活)神戸 まちづくり研究所を設立。ひょうご市民活 動協議会 (HYOGON)代表、ESD ひょうご 神戸推進ネット代表。兵庫県住宅審議員、 県民生活審議員、神戸市地域活動推進委 員、豊中市・宝塚市等でまちづくり専門委 員等を務める。2017年黄綬褒章受賞

「学生時代から喧嘩の仲裁が得意で、なにかにつけてクールなまとめ役でしたね」と笑顔で語る野崎さん。生来のコーディネート力を都市計画関連のコンサル会社やまちづくりのNPO活動等でおおいに発揮されています。まちづくりのヒントや人をまとめる極意、当財団への期待について伺いました。

地域の声をデザインした
復興のまちづくりを

中学時代は野球部でしたが、高校では生物研究会に所属。顕微鏡を覗きながら、ミクロの世界を想像するのが大好きな生徒でした。医者をめざしたものの、登山の途中で滑落事故に遭遇し、顔面血だらけの人を見て、自分が真っ青に。その道を諦め、建築なら自分に合っていると思い、方向転換しました。大学では団地計画やコミュニティづくりを専攻し、就職した民間のデベロッパー(土地開発業者)でも住宅団地開発を手がけました。鉄道系の会社なので、沿線の開発に合わせ住宅団地を企画するんです。土地を探してプランを描き、事業に見合うかどうかを調べ、GOサインが出たら土地買収へ。そのようなまちづくりの仕事でした。しばらくして貿易会社を営んでいた父親から建築材料の輸入を始めたから戻ってこいと強く説得され、帰阪。20年近く携わっていましたが、阪神・淡路大震災が大きな転機となりました。
デベロッパー時代のまちづくりは、「売れるものを作る」が最大の目標で、こうしたら住民が満足するだろう、を想定しながら計画します。売れる=仕事の成功ですが、実際
に住んでいる住民の評価は別。かつて手がけたまちがどうなったか、ずっと気になっていました。自分の思い込みではなく、住民がこういうまちにしたいというムーブメントのあるところでプランを作り、まちづくりを手がけたい。このような積年の思いが復興のまちづくりに邁進させました。
震災直後から建築ボランティアとして多くの相談を受けましたが、難しいのが大きな被害を受けた集合住宅でした。建替えか、大規模修繕か。結論に時間がかかるため、住民の合意形成を引き出すコンサルタントを仕事として引き受けるようになりました。マンション再建は住民の体力や経済力など、いろいろな事情が絡むので一筋縄ではいきません。「あなたは少数派だからダメ」と切り捨てるような風潮が漂うとたちまち対立の構図ができ、1ミリも物事が進みません。
司法に解決を委ねてもお金と時間がかかるだけで、争ったら結局誰も得をしないことがわかりました。そうならないためにも一人ひとりの事情を尊重し、合意形成がどこにあるかじっくり探ります。誰もが乗っかれる出口が見つかれば、住民の主体性が高まります。このプロセスを大事にしたいですね。町会や地域のまちづくりでも同じこと。住民が主体になれるしくみとゆるやかな合意形成がまちづくりの成否を決めるのかもしれません。

ヨコとつながり
活動の幅を広げていこう

 他方、震災の翌年、ボランティア活動で知り合った仲間で﹇神戸復興塾﹈を立ち上げました。〝机上の研究だけではあかん、現場の「知」に学び、10年先を見ながら活動していこう〞を合言葉に、住民主体のまちづくり支援を行うもので、これが﹇(特活)神戸まちづくり研究所﹈に発展していきます。現在、神戸市の委託事業として好評なのが「アドバイザー派遣」で、活動団体の困りごとについて専門家が出張し、解決の糸口を一緒に考えます。多くは会計処理に関する悩みや活動内容の見直し等で、必要なスキルや知識を伝えたり、対策を練るための会議では合意形成の支援も行います。ここでも合意形成はキモですね(笑)。
ともしび財団の助成活動は草の根グループを広くカバーする、とてもよい取り組みだと思います。小さいグループほど求心的に結束を固めるので孤立しやすく、ネットワーク化しにくいかもしれません。他のグループを知ることで、活動の膨らみや新しい発想が得られやすいので、エリアごとの交流などヨコとつながる機会も期待したいですね。

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