能島裕介さんのちょっといい話

2015年7月6日投稿

特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティー理事長
能島裕介さんのちょっといい話

能島さんプロフィール写真

能島裕介さん (のじま・ゆうすけ) 1975年。神戸生まれ。関西学院大学在学中に阪神・淡路大震災に被災。その後、被災児童等の支援活動を展開。大学卒業後、株式会社住友銀行を経て、大学時代の活動をNPO法人化。2000年、NPO法人ブレーンヒューマニティー設立。同法人理事長に就任。現在は同法人理事長以外にも尼崎市参与、兵庫県立大学客員教授、兵庫県長期ビジョン審議会委員なども務める。

 

子どもたちに多様な選択肢と多様な価値観を
そのための環境づくりに努めたい

子どもたちの支援活動を通じて、多様な価値観の創造を提供するブレーンヒューマニティー。大学生がボランティアとして支援活動に参加することで、子どもと若者双方の成長を育んでいるようです。8年間、当財団の運営委員として関わってくださった能島さんに、これまでの活動や財団の思い出、メッセージについてお聞きしました。

子どもと若者の出会いが
素敵な化学反応を起こす

ブレーンヒューマニティーの使命は、子どもたちに多様な選択肢と多様な価値観を提供することです。画一的で窮屈な生き方を強いられるのではなく、なるべく多様な価値観に触れ、生き方の選択肢を広げることが、自己の成長につながり、彼らの築く未来が明るいものになっていくのではないでしょうか。そのための環境づくりを進めたいと考えています。
といって、最初からこのような考えで活動していたのではありません。前身は関西学院大学の学生組織「関学学習指導会」というサークルを作り、家庭教師派遣をやっていました。家庭教師はアルバイトとして稼ぎがよかったですからね(笑)。その翌年に阪神・淡路大震災が起こり、被災した子どもたちにボランティアで学習支援を始めたことが、現在の活動の起点になりました。震災直後は受験シーズンで、学習のニーズが高かったんですが、受験が終わると遊びに連れていってほしいという声が増え、キャンプなどの野外活動もボランティアで引き受けるようになりました。社会変化の現状に直面すると、さまざまな課題が見えてきます。不登校の子どもの訪問学習支援を始めたのも震災から数年が経過したあとでした。
僕は大学卒業後、銀行員として働いていましたが、サークルの後輩から事務所を借りることになったので戻ってきてほしいと頼まれ、銀行を退職し復帰。それまでメンバー宅で教材やキャンプ道具を保管していたので、事務所を持つことは大きな夢でした。親は大反対でしたが。ブレーンヒューマニティーは子どもに生き方の選択肢を広げようという指針を掲げていますが、サラリーマンからNPOに転向した背景にはそんな思いがあったのかもしれません(笑)。
現在では障がい児や生活困窮家庭の支援事業などにも積極的に取り組んでいます。学生ボランティアは常時9百人以上。学習支援活動では給料を払いますが、野外活動は無償のボランティア活動のため、バランスよく取り組んでもらっています。うちに来る学生は特段、ボランティア意識が高いわけでもなく、ごく普通の若者です。たまたま子どもたちと出会い、その成長に関わっているにすぎません。少し年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんぐらいの関係性だからこそ、活動が続くのと、押しつけがないので、子どもたちも気楽です。しかし、キャンプは命を預かる活動なので、ボランティアの責任は重大。その部分での学生の成長は著しく、卒業後、仕事や市民活動で活躍している人が多いですね。

地道な活動に支援する
財団はかけがえのない存在

ともしび財団との出会いは、学生時代に助成金をいただいたのがきっかけです。僕らの活動は持ち出しが多かったので、とてもありがたかったことを覚えています。派手な活動を行う団体に助成金を出す風潮が強いなか、地道な活動の団体に丁寧に助成金を出すともしび財団は貴重な存在です。そのような位置づけを維持する必要があると思います。
ボランティアというと阪神・淡路大震災以降の活動に目が行きがちですが、戦後、病院や養護学校などで奉仕活動を行ってきた「ともしびグループ」は地域にボランティアの下地をつくりました。そのような「愛と協同」の精神をともしび財団に強く感じます。コープこうべが始まって以来の歴史がここに残っているような気がします。

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