鬼澤康弘さんのちょっといい話

生活協同組合コープこうべ 環境推進統括

脱プラスチックのシンボル「マイバッグ」は
誰もが楽しめるエコなライフスタイルです

川西市在住。大学時代、トルコ共和国の
歴史を研究するため、約2か月トルコ
全土を放浪し、隣接国すべての国境を
訪ねる。99年度入所。宅配、本部など
数所属を経験し、2019年6月より現部署。
「世界を旅し、見識を深めた経験が、
社会事業に熱心なコープこうべの入所に
つながったのかも。環境問題はライフワーク
でもあるので力が入ります」。
趣味はトライアスロン(毎年大会出場)

「昔は手提げかごを持参して買い物したものよ」と懐かしがるのは昭和の世代。
令和のいま、さまざまな年代がお気に入りのマイバッグに、話の花を咲かせます。
大量の使い捨てレジ袋から脱却し、マイバッグが定着するまでには先陣ともいえる
コープこうべの粘り強い運動がありました。
これまでの歴史とこれからについて鬼澤康弘さんにお聞きしました。

マイバッグ運動は
時代とともに進化した

2020年7月1日からレジ袋の有料化が義務付けられたのをご存知でしょうか。
これは使い捨てプラスチックによる環境への負荷を低減するために省令が改正された
ものですが、遡ること42年前(1978年)すでにコープこうべでは「買い物袋再利用
運動」というプラスチックの使用を減らす運動が始まっていました。
70年代といえば、オイルショックの影響で品薄の不安から、トイレットペーパーや
洗剤などの買い占めが多発し、社会が大混乱した時代です。
このような大量消費のライフスタイルを見直し、モノを大切にしようという反省を基に
進めた取り組みのひとつがレジ袋の再利用運動でした。

当時のしくみは使用済みのコープのレジ袋を再利用するとポイントがたまり
買い物代金が値引きされるというもの。
できることからの取り組みでしたが、徐々に賛同者が増えていきましたね。
1991年には「買い物袋再利用運動」からどんな袋でもOKの「買い物袋持参運動」と
なりました。

その次の転機は阪神・淡路大震災が起きた1995年です。
震災による大量の瓦礫やごみが、改めて資源の大切さを考え、シンプルなライフスタイルを目指す大きなきっかけとなり、同年6月からレジ袋の有料化に踏み切ったのです。
金額は今と同じ5円。レジで支払うのではなく、サッカー台(荷造りスペース)に
設置した代金箱にお金を入れるセルフ方式のため、組合員にとっては受け入れやすい仕組みだったようです。ただ、5円玉の両替でレジが煩雑になるとか、代金の入れ忘れなど少なからず課題はありました。

マイバッグ運動が大きく前進したのは2007年。
レジ袋代金をレジでお支払いただく精算方式へと転換した年です。
前年に成立した「改正容器包装リサイクル法」がレジ袋の削減を焦点にしていたので、
これが追い風になったといえます。
この年、コープこうべは先進性と約30年間のレジ袋削減運動が評価され、
「容器包装3R推進 環境大臣賞最優秀賞」を受賞しました。

コープこうべにおけるマイバッグ持参率は1994年の14%に始まり、1995年は77%、
2007年は87%、それ以降は約90%をキープしています。
持参率の上昇とともに、マイバッグも多様化し、おしゃれに楽しむ人が増えてきました。マイバッグは暮らしに密着したシンボリックな環境運動といえますね。

いただいたレジ袋代金は環境活動に全額活用するなど、コープこうべらしい取り組みも
一方で行っています。例えば、「食と環境」に関する学習会やコープの森・社家郷山(西宮市)の森林整備、新加入組合員にお渡しするマイバッグの製作等の費用として活用し、「見えるカタチ」で環境活動に貢献しています。

〝NEXT〞を合言葉に
もっと環境にいいことを

マイバッグが広く浸透してきたとはいえ、持参率90%前後で頭打ちになっているのが実情です。そこで今年6月から「マイバッグ運動NEXT」として、ギアを上げた脱プラスチックの取り組みをスタートしました。コンセプトは3つ。

1つめは【減らす】。無料でお渡ししていた衣料品や住居関連のレジ袋を有料化し、
生鮮品についてはレジで職員がポリ袋に入れるのをやめ、セルフで備え付けのポリ袋を
使用していただくことで更なる削減を目指します。

2つめは【増やす】。マイバッグをお持ちでない方に「レンタルバッグ※1」(無料)を案内し、袋の必要性を実感していただくことで持参率アップを図ります。
2000年から展開していますが、さらに強化します。
また一部店舗では、家に余っている紙袋を店に持ち寄っていただき、レジ袋代わりに使う「シェアバッグ※2」も実施し好評をいただいています。生協らしい、助け合いのしくみにつながることを期待しています。

3つめは【広める】。
マイバッグ運動がなぜ始まり、どのような変遷を経て、今後どう発展させていくのか。
そのストーリーをポスターやリーフレットを通して伝え、使い捨てプラスチックや
海洋ごみなど、身近な問題について考え、行動するきっかけにしていただきたいと思います。
学校では「SDGs(持続可能な開発目標)」など世界を意識した環境教育が行われています。子ども世代はもっと素直に環境保全の考えを受け入れていくでしょう。そのためにもいま私たち大人がどのような方向に社会を導くのか、真剣に考えたいですね。

※1、※2…一時的に利用を休止している場合があります。

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佐藤知子さんのちょっといい話

一般社団法人子育て園ぽかぽか 代表理事

子どもが住みよい社会は誰にとっても住みよい
そんなあたたかい保育をみんなの力で

西宮市在住。大学卒業後、幼稚園、保育
所、渡独などの現場実践を重ねながら得
た自身の経験から「こどもを中心に集う
さまざまな年齢・立場の人々が、それぞ
れの役割を持ちながら、いきいきと生き
る場づくり」を目指して活動。現在は、
「自然なタテヨコのつながりを広げてい
くには?」をテーマに取り組み中。趣味は
旅行。「ぽかぽか」に集う人々の笑顔を
見ることが幸せ。

自身のつらい経験から幼少期のよりよい環境づくりをめざした保育を追求する
佐藤知子さん。オープンマインドなお人柄が助けあいの輪を広げているようです。
2018年には、団体として当財団の助成制度「やさしさにありがとう ひょうごプロジェクト」を受けられた佐藤さんに、保育所開設のいきさつとこれからについてお聞きしました。

人生の出発点である保育を
豊かなものにしよう

私が高校生の頃、いとこが自ら命を絶つという痛ましい出来事がありました。
相談を受けていた私は自分の無力さに落ち込み、はたして何ができたんだろうかと悩みました。そのショックを乗り越える過程で大学では卒業論文で幼児心理学を専攻し、「乳幼児期の環境がこどもに与える影響」というテーマに取り組みました。幼少期の環境を整え、豊かにしていくことが大事であると考え、保育の仕事をしようと決意しました。

幼稚園教諭を4年勤めましたが、その間に、大学で少し学んだシュタイナー教育を思い出し、勉強し始めました。理論についてはその多くに共感するものの、引っかかる部分もありました。日本の価値観や慣習がそうさせたのかもしれませんが、どうしても疑問を解決したくて、シュタイナー教育の本場、ドイツへの留学を思い立ちました。ドイツ語もしゃべれないのに、無鉄砲ですよね(笑)。
まず、ドイツ語を学ぶため、近くのドイツ語学校を訪ねました。何気なく掲示板を見ると「日本人のお手伝いさん、求む」という現地の求人情報が掲載されていたんです。天啓とはまさにこのこと(笑)。語学も学ばず、そのままドイツへ渡り、1年間、ドイツ人家庭で住み込みで働きながら、日常会話の習得に励みました。
次の年からは、海外からの学生を積極的に受け入れるシュタイナー教育の学校に通って、2年間の修学課程を終えることができました。3年間の海外生活は私の人生において国際感覚や広い視野を養う、いいきっかけになったと思います。

帰国後、シュタイナー教育を実践する小さな園で働くチャンスをいただきました。2年目から園長を引き受けるという思わぬ展開となり、てんてこまいの私を助けてくださったのが仕事の先輩やご近所のシニア世代の方たちでした。私がみなさんをすごく頼りにすることもあってか、園児らがとてもなつき、シニアの方も園児に会うことが楽しみで来園くださっていました。そのような関係が続くことで、自然と地域ぐるみの交流が始まりました。シニアの方たちは必要とされる場所で生きがいを見つけ、子どもたちはさまざまな得意分野を持った大人と触れ合うなど、地域とともに子どもたちを見守る環境はとてもすばらしいと思いました。両親との同居を機に園を辞めることになりましたが、この経験を活かし、自宅で小規模保育施設を始めることにしました。

地域がつながり 共に生きる場づくりを

2003年、西宮市内で0〜3歳まで定員5人の保育ルーム「ぽかぽか」(保育所待機児童施設)を開設しました。この規模だと子どもの多い大家族のようなものだから、自宅でも十分やっていけるんです。私の両親も手伝っていたこともあり、地域のお年寄りも園児に関わりやすかったようですね。父が乳母車を押す姿はご近所の名物でし
た(笑)。その後、市から定員を増やしてほしいと要請され、隣町にある大きな借家に移転。現在、0〜2歳まで定員12人の小規模保育施設「つくし園」を運営しています。
保育事業を始めた当初から可能な限り、発達に困難のあるお子さんを受け入れるなど、地域で共に育つ保育をめざしていますが、そのようなお子さんの特性や能力に応じた、よりきめの細かい支援も必要と考え、児童発達支援「西宮たんぽぽ」を開設しました。現在は、当時空地だった「つくし園」の隣に大家さんの協力で新設いただき、1日定員10人で午前は就学前の児童発達支援事業(クラス)、午後は就学児童の放課後等デイサービスを行っています。

「たんぽぽ」に通うお子さんはまだ小さいですが、保護者の中には「この子は将来自立できるのだろうか」という先の見えない不安に悩んでおられる方も。そこで地域の就労支援事業所と協働し、「施設間のタテのつながりからこどもの将来を考える」シンポジウムを、ともしび財団の「やさしさにありがとうひょうごプロジェクト」助成で
開催することができました。
「実習先のようすがわかり、地域の力を感じた」「見通しを持って考える貴重な体験だった」という感想が寄せられ、地域が自主的につながることの重要性を大いに感じました。今後もこの取り組みを続けたいと思っています。

私たちのテーマに着目され、共感し応援してくださる財団には深く感謝しています。これからもその理念のもと、いろいろな団体が次のステップに進められるよう支援くださればと願っています。

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馬場正一さんのちょっといい話

社会福祉法人兵庫県社会福祉協議会事務局次長

兵庫県を地域福祉への参画と協働の先進県に

 

 


1965年大分県生まれ。同志社大学
文学部社会学科社会福祉学専攻卒。
兵庫県内の市町社会福祉協議会を経て
90年(社福)兵庫県社会福祉協議会の職員に。
阪神・淡路大震災では災害ボランティア・
NGО支援等を行い、「ひょうごボランタリー
プラザ」の立ち上げにも参画。
地域福祉部長、生活資金部長、企画部長等を歴任。
コープともしびボランティア振興財団理事、
兵庫県ボランティア協会理事等を担う。

 

「社会福祉協議会の仕事って、知ってますか。社会福祉を協議する組織ですよ。
それも、兵庫県全域を対象にした協議会の仕事って、なかなか奥が深いですよ」。
そう笑顔で語るのは、当財団の理事でもある馬場正一さんです。
兵庫県社協の役割と醍醐味などについてお聞きしました。

社会福祉の道を目指した
さまざまな思い出

私は大分県の国東半島の田舎町で生まれ、大学進学を機に関西に移りました。
大学の専攻は社会福祉ですが、高校の進学指導の先生から当時はまだあまり知られていない社会福祉の道へ進むことに「進路を考えなおしたらどうだ」等、何度か意見をいただいたのを覚えています。
そんな社会福祉に関心を持ったのは幼少期の出来事が原体験のように思います。
両親は家業の豆腐屋の商売で忙しく、私は「おばあちゃん子」として育ちました。
小学生のとき、学校から帰ると、祖母が倒れているのを発見。近所に住む叔父を呼び、祖母の一命を取り留めたことがありました。
祖母が親戚たちの前で「この子は命の恩人だ」と言ってくれたことは今でも忘れません。「誰かの役に立ったんだ、これからも誰かの役に立ちたい」と思った瞬間でした。

大学では「社会福祉学研究会」というサークルに所属し、ゼミで学んだ福祉理論の追求やボランティア活動を行っていました。
ボランティア活動の一つに同年代の筋ジストロフィの男性の車いす介助があったのですが、あるとき彼が松田聖子のコンサートに行きたいと言うので、車いすで会場に向かったところ、専用通路からスムーズに専用席に案内していただけました。バリアフリーがいかに大切であるかを感じた思い出です。

社協が変われば、地域も変わる
地域が変われば、社協も変わる

行政でも民間企業でもない社協のような中間の組織は、自由な立ち位置で福祉の仕事ができると思い、就職活動は社協一本に絞っていました。しかし、なかなか募集がなく、卒業直前の2月にようやく、県内のある市町社協の募集があり、採用試験に合格することができました。
当時の社協の仕事は、老人クラブや遺族会などの団体事務が半分、葬祭壇の貸出や結婚式場の運営が半分と、目立った地域福祉活動はありませんでした。
「それなら自分がやってやろう」と意気込み、理解のある地域住民と連携し、福祉委員の設置や給食サービスの実施、社協会員会費制度を導入しました。
よそから来た若者が頑張っていると温かく応援してくださる人たちと、社協で働く先輩からの「石の上にも三年」という言葉が心の支えでした。

私が仕事でこだわってきたことは二つあります。
一つ目は、社協は「住民主体の原則」を持っているので、こちらの呼びかけを強制するのではなく、現場の感性や意見を尊重すること。
二つ目は連絡調整に心を砕くことです。社協の最大の役割は何かと問われたら、連絡調整だと思います。これは「中間支援」という言葉に置き換えられますが、いろいろな団体を対等につなぎ、「WIN -WIN」の双方プラスの関係を築いていくこと。三方良しという言葉がありますが、つなげることによって「よい化学反応」を起こしたいです。
その触媒の役割が社協だと思っています。

 

「ほっとかへんネット」で地域のSOSをキャッチしよう

約10年前、NHKが報道した「無縁社会」の実態は私たちに大きな衝撃を与えました。
孤独な高齢者や引きこもる若者・中年、ワンオペ育児に悩む母親など、希薄な人間関係による現代社会の問題が浮き彫りにされました。
これらは誰もが避けられない身近なテーマです。
この状況をなんとかしようと兵庫県社協では「ストップ・ザ・無縁社会」全県キャンペーンを平成24年に提唱し、様々な啓発活動に取り組んでいます。
翌年から、県内の社会福祉法人をつなげる「社会福祉法人連絡協議会(ほっとかへんネット)」の立ち上げに着手しました。
これまで、市区町域では特養や保育など、施設の種別ごとの会合はあっても、「社会福祉法人」というくくりで集まる機会はありませんでした。この取り組みでは多種多様な地域資源がつながり、市区町域でのセーフティネットを展開していくことを目標にしています。「ほっとかへん」を合言葉に、居場所づくりやごみ屋敷問題の解決など、地域の特性に応じた活動が行われています。

そのような地域の課題解決をサポートする組織として、ともしび財団も意義深い事業を行っています。県内にはたくさんの助成団体があり、それぞれのミッションに基づいて活動しています。ネットワークがあれば、重複している部分や着手できていない分野などが解消され、よりきめ細かな支援が実現できるかもしれません。
それぞれの財団の持ち味を活かしつつ、協働できるような仕掛けを考えてみたいですね。

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岡田智恵さんのちょっといい話

コープこうべ宅配事業部夕食サポート統括

地域ぐるみの健康やボランティア活動をアシスト
夕食サポート まいくる は豊かな社会づくりに貢献

 

明石市在住。88年度入所。入所から長らく
店舗業務に携わり、2015年より夕食サポ
ートを担当。店舗勤務が長く、着任当初は
畑違いの世界に戸惑いがあったが、組合
員の玄関先まで毎日届けることのすばらし
さを実感するという。「悪天候でも休みな
く製造、配達ができているチームワークが
すごい。楽しみに待たれる方が大勢おられ
るのはありがたいことです」

 

夕食の宅配を通して地域ぐるみの健康増進や絆づくり、社会貢献活動にも積極的に関与しているコープこうべの夕食サポート事業 まいくる。「ありがとうの言葉をダイレクトにたくさんお聞きできる部署。毎日がドラマのようです」と岡田智恵さんは言います。まいくる にまつわる、おいしくって素敵なエピソードをお聞きしました。

食事が届く安心とおいしさ
健康面のメリットもぜひ

まいくる は2011年にスタートした、夕食をご家庭までお届けするサービスです。9年目を迎え、この間さまざまな変化がありました。現在もスタート当初と同様に高齢者の利用が大半ですが、ここ数年は共働き・子育て世帯やアクティブシニア層の利用も増えています。どの利用者さんにとっても、栄養バランスを考えた調理済み弁当が毎日届くことは日々の安心につながるのだと思います。

支持される理由はそれだけではありません。まいくる のおかずはこだわりの出汁を使って手作りで調理されているので評判がよく、満足感も大きいようです。
味の良さが認識されるに従い、求められるレベルもどんどん上がり、日々様々な感想が寄せられます。要望にはできるだけすぐにお応えし、今すぐには応えられないものでも「いつか必ず」という気持ちで取り組んでいます。
例えば、要望の多かった土日の宅配(一部地域)や冷凍タイプのおかずの宅配を実現できたことも、そのひとつです。

製造とメニュー開発は事業開始当初からコープこうべの基準をクリアしたコープフーズが手がけています。利用者さんに喜んで食べてもらいたいという気持ちから、見た目や盛り付け、季節感を大切に作っているので、「そこまでやるの!」と驚かれることも。
たとえば、七夕の日は星形に切った人参をちらし寿司に飾り、子どもの日には小さな柏餅、彼岸はおはぎ、ハロウィンにはかぼちゃのおかずなど、ひと手間を添えています。食べ続けていくうちに、そんな家族を思いやるような作り手の気持ちにじんわりと気づかれるでしょう。

それに加え、4月の誕生祭と10月の感謝祭の時期は2週間特別メニューが続きますが、サプライズとして各1回ステーキが登場します。
実は私も商品チェックを兼ねて、まいくる を利用しているのですが、このときはとてもうれしくおトクな気分になります。また夕食の量が決まったせいか、1年半で自然に2キロ痩せ、私の場合の健康面のメリットは「これか」(笑)と実感しています。

助け合いの精神は宅配や
ボランティア活動でも発揮

宅配を担うのはサポーターと呼ばれる地域の組合員さんです。
誰かの役に立ち、時間も有効活用できる仕事として募集したところ、定年退職後の男性が多数応募され、今も引き続き元気に活躍されています。

お弁当の宅配は毎日ですので、サポーターさんは利用者さんの変化に対して感度が高く、気づきも多いと感じています。つい先日も、サポーターさんが独居の利用者さんの異変に気づき、すぐに救急車を呼びました。
先ほど娘さんから「発見が早かったため、事なきを得ました」とお礼の電話を頂戴したところなんです。まいくる では利用者さんとなるべくコミュニケーションを図るという目標を掲げており、また毎日顔を合わせるということもあってか、家族のような濃い関係性を築けているのかもしれません。

しかし宅配事業はどこもそうですが、人手不足が顕著な業界です。
9年前と比べて定年年齢が伸びたり、退職後も働ける場がたくさんあるということもあってか、人員確保が厳しい現状です。しかし、サポーター制度は、まいくる のシンボリックな存在なので、どうしても残していきたいと考えています。

そこで新たなサポーター制度を構築すべく、試験的に行っているのがグループによる宅配です。一人で週5日配達するのではなく、グループ内で調整しながら分担するというもの。三木市では地元のNPO法人に宅配をお願いしているエリアがあり、3人のグループで配達しています。これをモデルケースに他地域でも活用できればと考えています。

また、まいくる の取り組みで知ってほしいのが1食につき、0・5円がコープともしびボランティア振興財団への寄付になること。これらが積もり積もって毎年約100万円程が兵庫県内のボランティア活動への助成に使われています。

おいしく食べて社会貢献できる まいくる を、これからもたくさんの方に利用していただきたいですね。

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ まいくるサポーターさん 募集!
ご興味のある方は、 0120-44-3100(くらしの情報センター)までお電話のうえ
「ともしび通信を見て、まいくるサポーター募集の件で」とお伝えください。

まいくるに関するお問い合わせ・お申し込みも上記番号へお電話ください。
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ともしび通信100号 記念特別インタビュー

望ましい地縁型とテーマ型の活動の融合

~第3次中期計画を語る~

藤井 博志さん
関西学院大学人間福祉学部 教授
当財団理事・第3次中期計画策定委員長

世帯ではなく、個人がつながっていけるコミュニティを

山口 当財団の今後5年間の指針となる﹇第3次中期計画﹈が完成し、藤井さんには委員長としてお力添えいただきました。
この計画を作るにあたり、今の社会の変化をどう捉えていますか。
藤井 日本は人口減少期に突入していて、少子高齢化が顕著です。長寿は喜ばしいことなのですが、問題は少子化です。20年後には3人に1人が65歳以上の高齢者となり、あらゆる場面で担い手の不足
が予測されます。もう一つは単独世帯の増加です。家族内で解決していた暮らしの課題を一人で抱え込むことになり、深刻なケースが目立っています。
山口 時代の曲がり角ではなく、もう曲がってしまっているとは…。暗く厳しい世の中が待っているのでしょうか。
藤井 これまで経験したことのない社会が待ち受けていることは確かです。かといって厳しさに怖気づいては生きていけません。みんなで知恵を出し合うことが大切です。
山口 これまで地域を支えてきた老人会や婦人会、こども会などの参加者が減り、休止や解散するところもあります。地域で知恵を出し合う手がかりがなくなっているような気がします。
藤井 これまで特に日本の郡部地域では3世代のムラ型コミュニティが中心で、都市部でもその延長で地域を支えてきました。これらは世帯単位のつながりでした。しかし、これからは従来の世帯単位
ではなく、個人がつながっていけるようなコミュニティに作り直すことがポイントになってくるでしょう。

誰もがどこかで関われる多様なチャンネルを

山口 日常は希薄な近所付き合いであっても、災害等が起きるとお互いがエネルギーを出して助け合いますよね。そのような緊張感を意識することも必要でしょうか。
藤井 人が協同するのに、外からの脅威で助け合うことと、夢を持ってつながることの2つ要因があると思います。しかし、脅威や不安だけでは人はつながりきれず、一緒に夢や希望に向かっていくことで、つながりは長続きします。不安を希望に変えていく転換の取り組みも必要です。
山口 それについては個人の熱量に頼らず、社会のしくみとして助け合いを深める手立てがありますね。
藤井 今、特に若い世代を中心に経済的格差が広がっています。結婚したくてもできないとか、子どもを持てないなどが少子化の一因になっており、この部分への資本の投下が圧倒的に不足しています。
若者や子育て世代への支援を社会のしくみとして作り上げていかないといけません。その事実にようやく国民が気づき始めました。この取り組みの効果をもっとも実感できるのは地域コミュニティなん
です。地域で子育てを応援すれば、親子が元気になり、高齢者も活力をもらえます。そこから多世代型のつながりや、話し合いの場が生まれ、知恵も出てきます。
山口 そういえば、最近は「子育て」などをテーマに地域を超えて活動するグループが増えています。従来型の地縁組織でなく、このようなテーマ型のコミュニティがますます有効になっていくような気もします。
藤井 地域には、自治会や町内会など、地縁でつながっているコミュニティがあります。一方、テーマ型コミュニティは地理的な要素は二の次ですが、その人たちも地域コミュニティの中で生きているので、ひとつのテーマで活動していくうちに地域との共通点に気づくことがあるでしょう。いろいろなつながり方のチャンネルが地域に用意されていることが重要です。地縁を大切にしながらも、テーマ型コミュニティが地域に根差していく。この2つの融合するところにこれからのコミュニティのあり方、地域社会の姿が見いだせるように思います。それらがやがてネットワークという形に発展するでしょう。ともしび財団が、新たにこうしたネットワークへの助成も考えていくことも必要でしょう。

人々の交流が知恵と活力を生み出す

山口 財団では、年に一度、助成を受けている団体が一堂に会する「市民活動交流会」を行っています。回を重ねるごとに交流が盛んになり、新しいネットワークができていくような気配を感じます。
藤井 ともしび財団が助成しているのは地域で地道に活動をしている団体で、中高年層を中心に地域をよくしたいという願望が強く、とても熱心です。つながろうという意欲もあり、市民活動交流会は
それを実現させるよい取り組みだと思います。一方、子育て世代は生活のことで精いっぱいで、世の中をよくしたいという意識を持つ余裕はなかなかありません。しかし自分たちの子どもが安心して暮ら
せる地域であってほしいというニーズは非常に高いです。子育てをテーマにした活動を進めていくことが若者支援につながり、地域課題への関心を呼び起こすように思います。
山口 地域で活動している高齢者の努力や知恵を知ると先輩への尊敬の念や人生に対する希望が出てきますね。
藤井 高齢者がこれだけ地域を支えていることを若者はほとんど知らず、大学のゼミで地域活動の見学をすると学生たちはすごく感心します。生き方のモデルになるという意見も聞きます。
山口 そのようなモデルを若い人たちにたくさん紹介できればいいですね。
藤井 それには交流がもっとも有効だと思います。
山口 ボランティアというとしんどいところを苦労して支えている、という印象を持たれることがありますが、活動の担い手は夢や希望を掲げ合って前に進むことが必要ですね。
藤井 「自分たちはここまでやれている」という承認や評価はとても大切です。なかなか身内では評価しにくいので、そういう場をともしび財団に作ってもらうと団体が元気になっていくと思います。
山口 誰もが夢や生きがいを持てる社会の実現に向けて、ともしび財団は皆さんと一緒に歩んでいきたいと思います。これからもご指導をよろしくお願いします。

≪聞き手≫
公益財団法人コープともしびボランティア振興財団
理事長 山口一史

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末永美紀子さんのちょっといい話

特定非営利活動法人こどもコミュニティケア 代表理事

誰もが通えるこども園はみんなの願い子どもたちに豊かな時間を

看護師、保健師を取得後、和歌山県立医科大学付属病院、兵庫県立こども病院に勤務。出産退職後[ちっちゃな保育所]を開設。保育士、認定心理士資格を取得。2008年NPO法人化。09年[ちっちゃなこども園にじいろ]に移行。ナースオブザイヤー2012『インディペンデントナース賞』受賞。15年[ちっちゃなこども園よつば]、児童発達支援&放課後等デイサービス[て・あーて]を開設。2019年放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。

 

看護師、小児科の病棟看護師の経験から、医療的ケア児や障がいのある子も一緒、長時間保育による手作り夕食等、多様なニーズに応え、家庭的な保育園を運営する末永美紀子さん。当財団の「社会人の学びと研究助成」対象者でもある末永さんに開設の経緯や研究内容についてお聞きしました

看護師の経験から必要とされる
保育園をつくった

母が保健師だったので、自然と同じ道に進み、小児科の病棟看護師として働きました。勤務は三交代制のため、子育てしながら夜勤をこなすのは大変なこと。祖父母など家族のサポートがないと続けられず、辞めていく先輩たちを残念に思っていました。また、看護の現場では、退院後の子どものケアに戸惑うお母さんたちの姿を目の当たりにしました。社会に放り出された気持ちになるといいます。医師の「風邪をひかせたらあかんよ」のひと言がすごいプレッシャーになり、親子で引きこもってしまうことも。そんなお母さんこそ、リフレッシュが必要なのに、医療的ケア児や障がいをもつ子を預かってくれるところはほとんどありません。
ちょうど自分が出産したことを機に、病棟看護師を退職。子育てしながら地域や医療界に貢献できる仕事を考えていました。高校時代に交換留学したアメリカで「自宅で子どもたちを世話するデイケア(小規模保育園)」を見聞きした経験をもとに2004年、自宅の1階で﹇ちっちゃな保育所﹈を開設。医療的ケア児や障がいをもつ子も一緒に育つ保育園、長時間保育で働く親のサポートができる保育所を実現しました。さらに、毎日、手作り夕食を提供するなど、子どもの生活リズムや健やかな成長を一番に考えた取り組みも行いました。
認可外保育施設のため、保育料は高めでしたが、定員( 12人)はいつもいっぱいで、社会のニーズを実感しましたね。スタッフは数人いましたが朝7時半から夜8時までの13時間半、ずっと保育所にいるのは私だけ。洗濯、料理、保育、看護、事務作業など何でもやりましたよ。お金の苦労はあったけれど自分の子育ても一緒にできたので楽しかったです。

共生保育をもっと社会に
そのお手伝いがしたい

保育所を作った自宅は5年の定期借家だったので、その後の場所をすぐ探さなくてはなりませんでした。物件探しは難航しました。大家さんに「保育所に使う」と言うと騒音や建物の傷みへの懸念などで断られることが数多くありました。「おうち」のような家庭的な環境でありながらもスタッフの休憩室もほしい。ある程度の広さが必要なため、思い切って、自宅兼用の一軒家を新築。2009年 ちっちゃなこども園にじいろ として開設しました。定員を増やしたものの、スタッフの数も増やす必要があるため、赤字は膨らむばかり。限界を感じ、理事会で休園を決定したこともあります。ちょうどそのころ神戸市の保育ママ事業(その後「子ども子育て支援法」による小規模保育事業に移行)を活用することで運営が安定してきました。
ひと息ついたものの、子どもたちの成長に伴い、施設が手狭になってきたことと、スタッフの規模が課題でした。10人程度ではキャリアのバリエーションに乏しく、若い職員のロールモデルが少ないと、夢を描きにくいと感じました。事業の拡大や種類を増やすなどでスタッフの母集団を大きくすれば、ポジションの変更や補い合いなどができ、自己の成長を促すとともに、チームワークがしやすいのでは。そのような理由から、2015年に小規模保育、認可外保育、障がい児通所支援の3施設一体の建物﹇神戸ともそだちの丘﹈を新たにつくりました。現在、50人ほどの幅広いキャリアのスタッフが子どもたちとご家族に寄り添い、豊かな生活のお手伝いをしています。
世間では医療的ケア児や障がいのある子どもとの共生保育について「リスクが高い」ように言いますが、私たちは具体的に「どんなリスクとその対処があるのか」を常に考え、話し合っています。共生保育が増えない理由にこのような認識のギャップをあると考え、保育分野のリスクとそのマネジメントを分析、体系化について、ともしび財団の支援を受け、大学院で研究しました。誰もが通えるあたたかいこども園は保護者の願いであり、子どもが子ども社会に参加する基本的人権です。共生保育の必要性を多くの人に知ってもらい、これから取り組みたい人の応援になればと思います。

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重森健太さんのちょっといい話

関西福祉科学大学保健医療学部教授

どの年代の人も運動習慣は大切なこと
脳が鍛えられ、認知症予防に効果的

関西福祉科学大学保健医療学部リハビリテーション学科・教授。1977年生まれ。 理学療法士.聖隷クリストファー大学大学院博士課程修了〔博士(リハビリテーション科学)〕。聖隷クリストファー大学助教 などを経て2011年4月より現職。2014年同大学学長補佐( 地域連携担当)、 2015年玉手山学園地域連携センター長を歴任。著書に「走れば脳は強くなる」(クロスメディア・パブリッシング)など。

「ちょっときつめの有酸素運動をすると脳内の血流が促され、認知症予防や改善に効果的ですよ」と語るのは地域理学療法学、早期認知症学の専門家・重森健太さんです。運動習慣の重要性とその内容ついてお聞きしました。

有酸素運動で
脳の神経細胞が増えた!

人口の高齢化は世界的な傾向で、とくに先進国では増え続ける認知症にどう対処するかが大きな社会問題になっています。認知症予防や改善の研究は以前から盛んに行われていますが、2010年にイリノイ州立大学のエリクソン博士が有酸素運動をある強度で一定の割合で行うと脳の海馬と呼ばれる部位の血流がよくなり、神経細胞が増えることを証明しました。このことから、運動が認知症に効果的であると広く知られるようになりました。すでにマウスの実験で運動が脳の神経細胞を増やすことはわかっており、認知症予防に運動は有効という仮説はありましたが、ヒトの脳の神経細胞が増えることをデータではっきり証明されたのは衝撃的でしたね。
認知症でもっとも多いアルツハイマー型認知症は、脳にアミロイドβというタンパク質が蓄積し、7〜10年後に発
症するといわれています。私の主催するウォーキング教室でも、週3日1日30分のウォーキングを1年間継続してい
ただくと、アミロイドβに変わる前の酵素の減少が認められています。運動習慣が体を変え、脳にいい影響を与えることを強く実感しています。

なるべく若いうちから
運動習慣を

私自身、小さい頃から運動が得意で、NHKの体操のお兄さんを目指していましたが、水中トレーニング指導の場面を見学したことをきっかけに理学療法士を知り、その道に。長崎大学と長崎大学病院で、研修しながら、老人保健施設で理学療法士として勤務していました。当時は介護保険制度が導入された翌年のことで、まだ地域の理学療法が確立されておらず、大学病院で研修する私にとってまさに実践の場。日本ではまだ導入されていなかった「365日リハ」を掲げ、回数を制限せず、自主トレメニューに取り組んでもらうとこれが大当たりで、みなさんどんどん良くなり、在宅復帰率が上昇していきました。家族や他のスタッフの協力も大きかったですね。この分野は本当におもしろいと思い、研究を続けてきました。
60、70代でも運動を始めれば認知症改善に有効ですが、若いうちから運動すればもっといいですよね。運動習慣があれば生活習慣病自体がかなり減り、医療費の削減はもちろんのこと、高齢者の虚弱もずいぶん減り、介護問題に貢献できますね。30、40代を運動習慣のある世の中に変えていきたいというのが私の願いです。
有酸素運動はウォーキングか、走れる人は軽いランニングを。ちょっと汗ばむ程度といわれますが、正確に表現すると、最大心拍数の70%強度(220 -0.7×年齢)で約30分運動するのが理想です。これは案外きつく、街中で見かけるウォーキングの速度はたいてい遅い感じがします。

今から始めよう
脳を鍛えるトレーニング

室内でも簡単にできる運動を紹介しましょう。背筋を伸ばし、太ももを高く上げる足踏み運動や踏み台昇降、エア縄跳び(縄なしで跳ぶ)など、1日1分間続けることを目標にします。体と頭を同時に使う二重課題(ひとりジャンケンetc)や、体の左右で同時に違う動きをする拮抗運動(右手はグーにして突き出し、左手はパーにして胸に当てるetc)は集中力を高めることにつながります。
脳を若返らせるには精神的なアプローチも欠かせず、「させられる」ではなく「したい」という思考を。夢や目標を持つことも大切ですね。私の両親は学校の教員を早期退職し、地域の居場所づくりに取り組んでいます。そのイキイキとした姿に私の方が刺激をもらっています。
高齢になっても地域で活躍できることは、健康の秘訣かもしれませんね。ともしび財団は、地域をよりよくする活動を行っているさまざまな団体を応援されています。今後もその活動に期待しています。

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梶木典子さんのちょっといい話

神戸女子大学家政学部教授・日本冒険遊び場づくり協会副代表

「やってみたい!」を実現できる
冒険遊び場は子どもの心身を育み、
まちの活性化に

奈良女子大学大学院人間文化研究科 修了、博士(学術)。神戸女子大学家政 学部教授。特定非営利活動法人日本冒 険遊び場づくり協会副代表、IPA(子ど もの遊ぶ権利のための国際協会)日本 支部事務局長、神戸市教育委員、兵庫 県青少年愛護審議会委員、神戸市公園 緑地審議会委員、「やさしさにありがと う ひょうごプロジェクト」選考委員等。

 

「近所の公園に集まって暗くなるまで遊ぶのが昭和の子どもとしたら、平成はアポを取り、習い事の合間に遊ぶ時代」。こう語るのは地域居住学の専門家・梶木典子さんです。子どもたちを取り巻く環境やこれからの子どもの遊び場、当財団への期待についてお聞きしました。

留学・震災の経験から
子どもの遊び環境の研究者に

住まいに興味のあった私は大学で住居学を専攻し、総合建設会社に入社。まちづくりに関わる業務に就いていました。結婚を機に仕事を辞め、海外留学する夫とともに渡米し、自分も大学院で都市計画を勉強しました。子どもの遊び環境に関心を持ったのはある幼い女の子との出会いから。アメリカは車社会でとくに郊外に住む子どもは自分の意思で自由に遊びに行ける環境ではなく、彼女も長い夏休みを持て余していました。一緒に遊ぼうと声をかけると、うつろな表情が一転し、目がキラキラ。子どもは勝手に遊ぶものと思っていた私にとってこの出来事は衝撃的で、子どもが遊ぶのに大変な社会ってどうなっているのだろうと思いました。
帰国後、大学院の後期課程に入り、在学中に出産。子どもが生後4か月のときに阪神・淡路大震災に遭いました。自宅マンションは半壊になり、しばらく実家に避難し戻ってきたものの瓦礫のまちではベビーカーは使えず、公園には仮設住宅が建ち、外遊びのできる環境ではありません。知り合いもおらず、親子で居場所を探しさまよっていました。孤独な育児でしたね。そんな経験から子どもの遊びに関わる研究をしようと決心しました。

冒険遊び場づくりの活動が各地に
遊びを届けるプレーカーに注目

大人は「子どもは放っておいたらどこでも遊ぶ」と思いがちですが、自由に外遊びができる環境でしょうか。公園は禁止事項が多く、道路は危険。習い事で忙しいので、細切れの時間しかありません。タテの関係づくりも難しいため遊びの伝承もなく、「子ども社会」が形成されにくくなっています。そんな状況に危機感を覚えた人たちが1979年、海外の冒険遊び場をヒントに羽根木プレーパーク(世田谷区)を開設。以降、全国各地でさまざまな冒険遊び場が作られるようになりました。共通するのは遊びを支援する大人(プレイワーカー)がおり、木登りや水遊び、土などを使った創造的な遊びや子どものやりたい遊びが思いきりできること。チャレンジしたり、工夫できる要素が多いので、やった!できた!という達成感が心に残りますね。
最近注目している遊び場として、移動型の冒険遊び場があります。遊び道具等が積み込まれた車をプレーカーと呼び、プレイワーカーが出張先で冒険遊び場を開設します。東日本大震災や熊本地震など大きな災害があったとき、遊びによる子どものケアとしてプレーカーが被災各地で展開。その機動性の高さから日常においても活躍の場が増えています。冒険遊び場に行きたくても行けない子どもがいるので、プレーカーが月1回でも近所に来たら、子ども達はふだんできない自由な遊びができます。子育てに悩む親も子どもの遊ぶ姿を見て安心しま
す。
私が理事をしている日本冒険遊び場づくり協会は、地域住民による遊び場づくり活動の中間支援を行っています。冒険遊び場が常設されているエリアには子育て世代の移住者が増えているという話も聞きます。遊び場づくりはまちづくりにもつながる活動で、私はここに魅力を感じます。日常生活の中に、子どもたち
の姿を感じ、子どもの遊ぶ声が聞こえ、笑顔があふれることの大切さを多くの人と共有できる、そんなまちであってほしいと思っています。
ともしび財団にはとりわけ若い人たちの活動に力を入れてほしいと思います。助成を受けたある若者グループは「自分たちの活動はまだこれからだけど、コープに認められたことがとても励みになった、もっと頑張りたい」と話
してくれました。頼もしいですね。財団の助成をきっかけに大きく羽ばたいてくれたらいいなと思います。誰もが安
心して暮らし遊び心あふれる社会をめざすために、きめ細かな支援をこれからも期待したいですね。

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田端和彦さんのちょっといい話

兵庫大学副学長・生涯福祉学部社会福祉学科教授

これからの社会は
「利用者目線」が重要なポイントに

1964年三重県生まれ。93年広島大学大学 院生物圏科学研究科博士課程後期修了、 博士(学術)。広島大学総合科学部助手を 経て、95年の兵庫大学開設に伴い経済情 報学部講師に就任。2008年生涯福祉学部 教授、社会福祉学科長、2012年生涯福祉 学部長、2016年より兵庫大学・兵庫大学 短期大学部副学長。専門は地域政策、地 域経済学。著書に『参画と協働:理論と実 践』『地域福祉の原理と方法』他。

「物理を学んでいた自分が、畑違いの地域づくりの専門家になるとは」。そう笑顔で語るのは当財団の「やさしさにありがとう ひょうごプロジェクト」助成選考委員長でもある田端和彦さんです。地域の活性と人づくりについてお聞きしました。

地元の良さや得意分野を
知ることは大事

私はもともと理系の人間で、大学では実験室に閉じこもり、物質の特性について研究する日々を送っていました。しかし大学院では違う分野を覗いてみたいと思いました。物理の研究というのは真理を深く追求するため、タコツボというか、隣が何をやっているのかまったくわかりません。総合的に学問を捉え直したいと考え、選んだのが環境の分野で、なぜか文系の社会環境を専攻したんです。財政学など国や地方自治体の経済活動を一から勉強しました。地域イノベーションシステムや社会的経済に関する研究が水に合ったのか、その分野の研究者に。広島大学で助手をしていましたが、兵庫大学への就任が決まっていた1995年、阪神・淡路大震災が起こりました。すぐに被災地に入り、神戸商科大学(現兵庫県立大学)の先生方と一緒に被災状況を調査しました。自治会などの地域コミュニティが崩壊したが、その後人々がどのように立ち上がり再生していったのか、あるいは地域活性のためのコミュニティビジネスの創出など、地域づくりについて数多く関わらせてもらいました。
地域が賑わうには人口さえ増えればいいと思われがちですが、それに頼らず活力をもって暮らしていけるヒントはあるものです。たとえば今、地方の過疎化が進み、店舗が撤退しています。撤退後、地域の人たちが自主運営したいと言い、担い手は確保できてもその中だけでは採算は厳しい。外からのお客さんや観光客を呼び込まなければ経営は成り立ちません。そのためには地域の特産品やお客さんに喜んでもらえる売りモノを見つけること。地元の良さや自分たちの得意分野で勝負したらいいんです。意外と気づかないものですが、大事な視点です。そのようなケースを語り、実現可能な地域づくりをアプローチします。
市民団体が活動を続けるにも組織化(=人づくり)と活性化(=財源)が大きな要素になります。その一つとして指定管理者制度を活用することも有効だと思います。公共施設の運営を民間に委託する指定管理者制度は2兆円ともいわれる市場規模で、多くは自治体の外郭団体が請け負っていますが、企業も乗り出しています。そこに施設の利用者でもある市民がボランティアグループを作り、NPOを組織化して指定管理者を担うのです。東播磨生活創造センター[かこむ]はその例で、市民グループが指定管理者となり、主体的に生活創造と地域づくりのための活動を支援しています。このように安定した事業を続けると人が育ち、次のアイデアも出てきますね。
知恵と工夫で財政を確保し、地域を担う団体やNPOが育んでいってほしいものです。

社会のニーズは「利用者目線」
地域活動に取り入れよう

私が所属する兵庫大学では大学教育に相当するレベルの講座を外部に広げる[エクステンション・カレッジ]を開設しています。そこでは知識や技術を学ぶだけでなく、市民性を高めることを目的に年間約130の多種多様な講座を実施し、受講料も手頃なことからリピーター率が高く、好評です。地域活動の担い手が増え、社会参加・貢献につながっていくことを期待したいですね。
ともしび財団の「やさしさにありがとう ひょうごプロジェクト」は意欲ある市民と賛同企業を結び付けるユニークな取り組みで、困りごとを解決する新しい発想の市民グループが助成団体に選ばれています。彼らに共通するのはしっかりした「利用者目線」を持ち、賛同企業もそのような動向をよく理解していること。今、社会のニーズは利用者(消費者)目線がどれだけあるかが問われていると思います。これからの地域活動も利用者目線が重要なポイントになることでしょう。

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野崎隆一さんのちょっといい話

特定非営利活動法人 神戸まちづくり研究所 理事長

住民が主体になれるしくみと
合意形成がまちづくりのポイント

1967年神戸大学建築学科卒。東急不動産 (株)勤務。86年遊空間工房設立。震災後、 住民主体の復興を掲げて、住宅再建や復 興まちづくりに携わる。2000年(特活)神戸 まちづくり研究所を設立。ひょうご市民活 動協議会 (HYOGON)代表、ESD ひょうご 神戸推進ネット代表。兵庫県住宅審議員、 県民生活審議員、神戸市地域活動推進委 員、豊中市・宝塚市等でまちづくり専門委 員等を務める。2017年黄綬褒章受賞

「学生時代から喧嘩の仲裁が得意で、なにかにつけてクールなまとめ役でしたね」と笑顔で語る野崎さん。生来のコーディネート力を都市計画関連のコンサル会社やまちづくりのNPO活動等でおおいに発揮されています。まちづくりのヒントや人をまとめる極意、当財団への期待について伺いました。

地域の声をデザインした
復興のまちづくりを

中学時代は野球部でしたが、高校では生物研究会に所属。顕微鏡を覗きながら、ミクロの世界を想像するのが大好きな生徒でした。医者をめざしたものの、登山の途中で滑落事故に遭遇し、顔面血だらけの人を見て、自分が真っ青に。その道を諦め、建築なら自分に合っていると思い、方向転換しました。大学では団地計画やコミュニティづくりを専攻し、就職した民間のデベロッパー(土地開発業者)でも住宅団地開発を手がけました。鉄道系の会社なので、沿線の開発に合わせ住宅団地を企画するんです。土地を探してプランを描き、事業に見合うかどうかを調べ、GOサインが出たら土地買収へ。そのようなまちづくりの仕事でした。しばらくして貿易会社を営んでいた父親から建築材料の輸入を始めたから戻ってこいと強く説得され、帰阪。20年近く携わっていましたが、阪神・淡路大震災が大きな転機となりました。
デベロッパー時代のまちづくりは、「売れるものを作る」が最大の目標で、こうしたら住民が満足するだろう、を想定しながら計画します。売れる=仕事の成功ですが、実際
に住んでいる住民の評価は別。かつて手がけたまちがどうなったか、ずっと気になっていました。自分の思い込みではなく、住民がこういうまちにしたいというムーブメントのあるところでプランを作り、まちづくりを手がけたい。このような積年の思いが復興のまちづくりに邁進させました。
震災直後から建築ボランティアとして多くの相談を受けましたが、難しいのが大きな被害を受けた集合住宅でした。建替えか、大規模修繕か。結論に時間がかかるため、住民の合意形成を引き出すコンサルタントを仕事として引き受けるようになりました。マンション再建は住民の体力や経済力など、いろいろな事情が絡むので一筋縄ではいきません。「あなたは少数派だからダメ」と切り捨てるような風潮が漂うとたちまち対立の構図ができ、1ミリも物事が進みません。
司法に解決を委ねてもお金と時間がかかるだけで、争ったら結局誰も得をしないことがわかりました。そうならないためにも一人ひとりの事情を尊重し、合意形成がどこにあるかじっくり探ります。誰もが乗っかれる出口が見つかれば、住民の主体性が高まります。このプロセスを大事にしたいですね。町会や地域のまちづくりでも同じこと。住民が主体になれるしくみとゆるやかな合意形成がまちづくりの成否を決めるのかもしれません。

ヨコとつながり
活動の幅を広げていこう

 他方、震災の翌年、ボランティア活動で知り合った仲間で﹇神戸復興塾﹈を立ち上げました。〝机上の研究だけではあかん、現場の「知」に学び、10年先を見ながら活動していこう〞を合言葉に、住民主体のまちづくり支援を行うもので、これが﹇(特活)神戸まちづくり研究所﹈に発展していきます。現在、神戸市の委託事業として好評なのが「アドバイザー派遣」で、活動団体の困りごとについて専門家が出張し、解決の糸口を一緒に考えます。多くは会計処理に関する悩みや活動内容の見直し等で、必要なスキルや知識を伝えたり、対策を練るための会議では合意形成の支援も行います。ここでも合意形成はキモですね(笑)。
ともしび財団の助成活動は草の根グループを広くカバーする、とてもよい取り組みだと思います。小さいグループほど求心的に結束を固めるので孤立しやすく、ネットワーク化しにくいかもしれません。他のグループを知ることで、活動の膨らみや新しい発想が得られやすいので、エリアごとの交流などヨコとつながる機会も期待したいですね。

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松田道子さんのちょっといい話

神戸YMCA学院専門学校 校長、国際・奉仕センター所長

違う分野の活動者と出会うのは
広い見識が学べるチャンスです。

公益財団法人神戸Y M C A 常勤理事。 CODE海外災害援助支援センター理事。 特定非営利活動法人開発教育協会 /DEAR大阪運営委員。神戸出身。1985年 より神戸YMCAのボランティア活動に参 加し、2000年から3年間タイのチェンマ イYMCAに勤務後、2004年に神戸YMCA に入職。灘購買組合文化部聖書研究会か ら生まれた日本基督教団東神戸教会に 所属。2017年からともしび財団理事。

「洋行帰りのスーツケースには外国のキラキラがいっぱい詰まっていた」とにこやかに語る松田道子さん。好奇心旺盛で行動的な性格が人材育成や世界の課題に取り組む、現在のポジションに導いたといえます。これまでの生き方や活動に対する信念、当財団への期待についてお聞きました。

トライする勇気があれば
自分も世界も変わっていく

私は水道筋商店街(灘区)で菓子店を営む大家族の中で育ちました。ここは地域コミュニティがしっかりあるところで、「昔から助け合って生きてきた」という話を周りからよく聞かされたものです。
そのような環境が人と分かち合って生きることへの関心につながったと思います。また、仕事をリタイアした祖母は海外で暮らす家族に度々会いに行っていました。洋行帰りの祖母のスーツケースには外国のお土産が詰まっていて、開ける瞬間はワクワクドキドキ。知らない文化に触れる喜びや感動をそのときに培った気がします。
大学生のとき、神戸YMCAのユースボランティアリーダーになりました。きっかけは偶然で、リーダーをやっている高校の先輩が、片っ端から体育会系の後輩に声をかけ、素直な私は「はい、やります!」。人とともに成長するというYMCAのビジョンに共感したのと元気もあり余っていたんです(笑)。大学卒業後は一旦家業を継ぎましたが、日本語教師になりたくて神戸YWCA学院専門学校に進学。卒業後そこの教員となり、女性の自立や人権問題など多くの活動を経験しました。
その一方、海外に行きたい夢もあり、諦めずにいたらチャンス到来。神戸YMCAとパートナー関係のタイ・チェンマイYMCAランゲージセンターに職員枠があり、そこに送りだしてもらえたんです。
元灘購買組合(現コープこうべ)の職員で、当時神戸YMCAの顧問だった今井鎮雄さんから「小さな種を蒔きなさい。それを育てる努力をしなさい」というはなむけの言葉を頂き、全力でやろうと強く心に誓いました。
タイの3年間は異文化に戸惑いながらも充実の毎日で、日本語教育や子どもの英語教育の他、タイ北部の農村部の課題に対するプログラムにも関わりました。エイズやストリートチルドレン、障がいを持つ子どもの支援等で、その活動を見学する海外グループのアテンドもやりました。当初、住居と食事の提供のみという心細い生活でしたが、途中から現地雇用となり、「あなたの給与はいくらになるか計算しなさい」と言われました。「活動」か「労働」か、プロ意識を持ってやっているか、非常に悩みましたね。帰国後、神戸YMCAの職員になり、初めての給料日になんとチェンマイから送金が! それはタイ時代の私の仕事に評価してくれた金額らしく、人として大切に扱ってくれたことに非常に感激しました。このことは私の心の支え。トライする勇気を次世代に伝えたいと思いました。

学生のボランティア活動を
学校をあげて積極的に応援

神戸YMCA学院専門学校はホテル学科と日本語学科が併設されており、ホテル学科は日本のホテルやツーリズム業界を志望する留学生が約3割、日本語学科には外国人学生が20カ国約170名います。
異文化交流のようなキャンパスで学生たちは国際性と人間性を身に付けています。とりわけ私たちは人間形成に力を注いでおり、そのひとつが学校の運営母体である神戸YMCAが行うボランティア活動への参加です。ボランティアコーディネーターを支え、新しい分野を開拓するのが今の私の役割です。また、国際・奉仕センターは国際・地域ボランティアのコーディネートや派遣育成を実施。災害関係では全国35か所のYMCAのうち、いつも神戸の動きは早いと言われます。そのスピード感は東日本大震災や熊本大地震の現地に出向いた際、神戸を拠点に活動する人たちと多く出会ったことにも感じました。
ともしび財団が主催する「市民活動交流会」では地域の課題に取り組む人たちが大勢参加されていますね。あのパワーはすごいなと大変勇気づけられました。違う分野の活動者と出会うのは広い見識が学べるチャンス。お互いの気づきの場になればとも思います。これからも多くの人を巻き込んで、つながり、広がる財団として大いに期待しています。

 

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松尾やよいさんのちょっといい話

夢こらぼ主宰(生涯学習アドバイザー・イベント企画コラボレーター)

一人ひとりの小さなおせっかいが
地域力のある豊かなまちを創造する

1972年生まれ。(財)兵庫県青 少年本部東播磨青少年本部青 少年活動コーディネーター、兵 庫勤労者ボランティアシステム ボランティアコーディネーター、 兵庫県野外レクリエーション指 導者協議会事務局次長、兵庫 県生涯学習情報プラザ生涯学 習アドバイザー等を経て現在は 夢こらぼ主宰。mottoひょうご事 務局次長、花婿アカデミー事業 企画部長、コミュニケーション麻 雀協会理事他。

一方的に聞くだけでなく、参加もできる楽しい講演会や研修会等のファシリテーターとして活躍中の松尾やよいさんに地域づくりに対する思いや人とつながることの大切さ、当財団への期待についてお聞きしました。

青少年活動の経験から
人を元気にする喜びを知る

私は加西市出身で、地元の子ども会に入ったのをきっかけに青少年活動大好き人間として育ちました。青少年育成の盛んな兵庫県は、県下各地から参加者を募り、嬉野ユースキャンプを行っていました。私は小学4年生の頃から一人で参加し、友だちを作るのが楽しみでしたね。野外活動が好き、人のお世話するのが好きで青少年リーダーとして活動を続けました。そのまま青年団活動に移行し、青年団体に所属しました。かつて地域の担い手でもあった青年団が衰退し、それに代わるものとして青年団体を立ち上げるのが、県全体で流行った時期があったんです。ちょうどその時期、市の嘱託職員になり、教育委員会青少年育成係で青年団体事務局として働きました。
仕事もプライベートもすべて青年活動に従事する日々でした。役所の就業時間が終わると、夕方5時半以降は青年団体の活動タイムで、ぼちぼちと集まるメンバーは20時頃にようやく揃い、24時ぐらいになって会議が盛り上がり、夜中の2、3時にまとまり、明け方まで作業が続く毎日。青年団体の名称が「加西市青年連絡会えんどれす」なので、それを地でやっていたんです(笑)。若者の無気力・無関心・無感動が問題視されだした頃で、青年のマンパワーを集結し、地域を起こすイベントを多数企画しました。たとえば、加西市は約1000か所のため池がある全国有数のため池密集地で田んぼも多いところ。そんな環境を活かし、関西で初めて泥んこバレーを開催したり、24時間キックベースボール大会とか、「青年から発信する街づくり、青年の存在が見える街づくり」にこだわりました。「活動が好きで街が好き」。これが私の血肉となりましたね。

たわいもないおしゃべりで
人とやわらかくつながって!

青少年から高齢者にいたるまで、さまざまなマンパワーを引き出す経験が礎になり、現在は生涯学習アドバイザー・イベント企画コラボレーターとして活動させていただいています。最近増えてきているのが、地域づくりや地域福祉というテーマ。私たち講師が地域の特質や資源を活かした企画をするのは容易ですが、実行し、その地に住み続けるのは地域の人なので、押しつけにならないよう、まずは気づいてもらうことを心がけています。よくいただく感想は「当たり前のことだけど、日常に埋もれて忘れていた」「改めて考えてみたい」「気持ちが温かくなった」などで、そのような気づきが行動に結びつくのかもしれません。
地域づくりで大切なのは人とつながること。人とやわらかくつながるには何気ない日常会話が案外重要なんです。こんなことがありました。長野県白馬村、地震で壊れた家屋から4名が救出されました。一人暮らしのおばあちゃんの日常会話から、その日は娘と孫が遊びに来ていたのをご近所が知っていたんです。それを聞いていなければ、隣室で寝ていた孫は助け出されることはなかったでしょう。たわいもないことをしゃべるのは決して無駄ではありません。時間に追われる今の日本でたわいもないことを日常会話として話すのは、もはや技術なのかもしれません。とはいえ、そんな、一人ひとりの小さなおせっかいが地域力のある豊かなまちを創造するのではないでしょうか。
ともしび財団の活動助成は団体のやりがいを認める大切な事業だと思います。いくつになっても誰かに認められるのは嬉しいもので、ますます素敵に輝きますね。そんな活動者の姿は後に続く私たちにとって希望の灯となります。「私もあんなふうに素敵な活動者でありたい」私たちのロールモデルである先輩活動者に近づけるよう頑張りたいですね。財団には引き続き地域を照らす活動という灯を温かく見守り、サポートいただければと願います。

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小川雅由さんのちょっといい話

特定非営利活動法人こども環境活動支援協会(LEAF)理事

学び合いの精神で市民が主体的に動く持続可能な地域づくり

1972年西宮市役所入所。92年環境省こどもエコクラブ事業(95年スタート)の基本モデルとなる地球ウォッチングクラブ(EWC)事業を開始。98年「こども環境活動支援協会(LEAF)」の発足に携わる。2003年西宮市環境都市推進グループ課長着任。同年12月「環境学習都市宣言」を行う。06年3月西宮市退職、現在理事として環境学習を通じた持続可能なまちづくりを提唱。ともしび財団理事。

市民・事業者・行政の協働で設立された[こども環境活動支援協会(LEAF)]の立ち上げに尽力し、今なお現場で活躍中の小川雅由さんに環境学習に対する思いや当財団への期待についてお聞きしました。

市職員時代に学んだ
人権と環境の大切さ

私は元西宮市役所の職員で、各課を担当しながら2度のターニングポイントを経験しました。支所において在日外国人の登録業務に従事していた頃、指紋押捺制度が問題視され、各地で指紋押捺拒否運動が盛んに行われていました。担当者として彼らの人権とどう向き合うべきか、資料を読みあさり、現場の声を法廷で述べることもありました。地域住民の人権に関わることに自治体の職員が目をつぶっていてはいけないということを学び、その後に配属されたのが環境局でした。これが2つ目の転換期です。
1984年環境局に異動した頃は、近隣市が熱心に環境問題に取り組んでいるのに対し、西宮市はそうでもなく、温度差に愕然としました。しかし過去にはこんな歴史がありました。高度経済成長の幕開けとなる1960年代、ここ阪神間も工業化のあおりを受け、西宮の浜に石油コンビナートを造る計画が進んでいましたが、地域住民と酒造会社を中心に環境保全運動が一気に盛り上がりました。住宅都市か、工業のまちへ転換するのか、市を二分した大論争が繰り広げられ、計画が白紙撤廃されたのです。西宮市は文化と教育と住宅のまちをめざすということで1963年に文教住宅都市宣言を採択。豊かな自然が残る西宮市の礎は当時の熱い思いが下敷きになっています。しかし、これらの取り組みについては、しっかりと引き継がれていた訳ではありません。過去・現在・未来から「学ぶ力」をつけることこそが、環境問題を理解し解決することにつながるとの考えから、2003年に市民・事業者・行政の参画と協働により全国初の環境学習都市宣言と5つの行動憲章(学びあい・循環・参画協働・共生・ネットワーク)が制定されました。

二足のわらじに限界
持続可能な組織と活動を

環境局では市民自然調査など市民を巻き込んだ形の啓発活動をやり、それが結構ヒットしたので、地球ウォッチングクラブ(EWC)という継続的に子どもから大人までが環境学習できるシステムを作りました。このシステムを環境省が全国展開したいといい、誕生したのがこどもエコクラブ事業です。環境学習の取り組みを行政の枠にとどめず、普遍的に子どもたちを支援する力にしていこうと各界の協力のもと、市役所が呼びかけ人となりLEAFを設立。行政が任意団体(当時)の設立に関わったのは異例とはいえ、お金も人の支援もなく、役所内に机がひとつあるだけ。経費や人件費を自分たちで稼がないといけないので、市外に行くときは休暇をとって活動しました。しかし二足のわらじには限界があり、活動の継続とスタッフが食べていける道筋を作らないと無責任なので、役所を辞め、1年後に専任職員に。LEAFは子どもたちが持続可能な社会の担い手として成長するのに必要な事業を市民団体や企業、行政の橋渡し役として地域や学校で実施しています。
現在はJICA(国際協力機構)の研修や草の根事業に携わるとともに西宮市立甲山自然環境センター長として、宿泊施設の運営や都市型里山の整備、今年から福祉団体と一緒にソーシャルファーム作りも始めています。

市民運動的な
ダイナミックな視点を

ともしび財団はコープこうべの組合員を主たる出資者として地域づくりを実践しているという意味では、もっとコープ色を出していいのではないかと思います。コープこうべの原点でもある「愛と協同」という理念に立ち返ったとき、財団が支援する活動対象について福祉や環境保全、食・農、貧困など様々な地域課題の中から、市民運動的なダイナミックな視点も入れ、時代に応じた取捨選択を行うなど、しっかりした戦略を持つ必要があるのではと感じています。

 

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丹内恵美さんのちょっといい話

コープこうべ福祉介護事業部教育研修担当(神戸市認知症介護指導者)

そこに行くと誰かとつながりができるあたたかい福祉文化の拠点を育みたい

プこうべ福祉介護事業部教育研修担当。2000年コープこうべ在宅介護サービスに入所。ヘルパー、サービス提供責任者を経て、2008年訪問介護の管理者に。介護職員初任者研修、介護福祉士実務者研修、コープ委員会、レインボースクールの講師や神戸市認知症介護指導者として介護専門職に対する人材育成や地域の認知症ケアの質の向上にも関わる。

昨年11月に開設したコープこうべのサービス付き高齢者向け住宅[コープは~とらんどハイム本山]で、介護職員研修などのサポートに尽力した丹内恵美さん。福祉の仕事に関わったきっかけや認知症介護に対する思い、当財団への期待についてお聞きしました。

福祉の仕事に
大きなやりがいを感じた

私は20歳で結婚し、専業主婦をしていました。子どもが幼稚園に入り、自由な時間ができたとき、ふとボランティアをしたいなと思いました。学生時代、ねむの木学園のドキュメンタリー番組を観て、宮城まり子さんのお話に深く感銘を受けたことがあったんです。コープの[くらしの助け合いの会]に相談すると「あなたみたいな若い主婦は珍しい」と快く応じてくださり、早速ボランティアを始めました。気楽にボランティアをやりつつ、当時は介護保険制度が始まる直前だったので、何かの役に立つだろうとヘルパー2級の資格を取ったりもしました。すると特別養護老人ホームから声がかかり、パートとして働くことになりました。しかし定時で帰れないほど忙しくなり、同居の義母が助けてくれていたけれど家事育児との両立に限界を感じ、早々に仕事を辞めてしまうことになりました。福祉の仕事にとてもやりがいを感じていたので、もう一度チャレンジしようと思っていたところに「コープこうべが在宅介護サービス西宮事務所を立ち上げるので働かないか」とお声がかかり、福祉専任職員に採用されました。以来先輩方に引っ張ってもらいながら、かれこれ17年になります。

認知症の人についての理解者、
応援者を増やしたい

在宅介護サービス西宮では、ヘルパー派遣をとりまとめるのが主な仕事で、もちろん自分がヘルパーとして伺うこともありました。高齢者と関わるのが好きとはいえ、いつも気持ちがハッピーなわけではありません。自分が元気なときはこちらの「いいもの」を置いて帰れますが、そうでないときは利用者さんの「しんどさ」に引きずられてしまうことも。コープこうべの職場は雰囲気が明るく、近い年代のスタッフと悩みも喜びも分かち合えたので、長続きできたんだと思います。

福祉は勉強してもきりがない世界です。いくら経験や知識を積み重ねても、現状に満足できず、知りたいことが山積み。そういう意味で専門職ならではのおもしろさがありますね。当初は福祉のいろいろな方向に学びを広げましたが、今は認知症ケアを深めたいと思っています。認知症の人に関わる機会が増えたことにより、病気に対する偏見がとても大きいことに痛感したからです。認知症の人と家族への理解者、応援者である[認知症サポーター](平成28年末約850万人)が全国的に増えていますが、私はサポーターを養成する講師(キャラバン・メイト)として、一人でも多くのサポーターを育て、認知症になっても安心して暮らせるまちづくりに貢献したいと思っています。

地域の福祉文化の拠点を
内外の住民と育てていく

ハイム本山はサービス付き高齢者向け住宅に分類される、高齢者向けの賃貸マンションのようなもので、有料老人ホームのように高額な入居一時金はありません。ここでいうサービスとは介護付きではなく、安否確認や生活相談など日々の暮らしをバックアップすることを意味します。要介護の方も入居できますし、介護サービスはコープに限らず、これまでご利用の事業所など自由に選択できます。安心してまちの暮らしができるという理由から、開設と同時にほぼ満床になりました。1階には地域のみなさんもご利用できる[地域交流スペース]を設けており、ともしび財団の協力を得て、今後地域の福祉文化の拠点になればと考えています。介護について気軽に相談できるカフェとか。ボランティアさんにお任せではなく、施設の住民と協働で運営できれば、もっといいですね。

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中山光子さんのちょっといい話

認定NPO法人宝塚NPOセンター事務局長

 

自分のまちをよくしたいという思いが社会貢献活動のきっかけになりました。

写真:中山さん

認定NPO法人宝塚NPOセンター事務局長。東京都出身。パートナーの転勤に伴い新潟県、埼玉県に住み、1996年より兵庫県宝塚市に。2001年から9年間生活協同組合コープこうべ本部ボランティアコーディネーターとして勤務。NPO支援の初代担当者を経て、宝塚市第5次総合計画策定担当として宝塚NPOセンターへ。2010年から事務局長に就任。

 

宝塚を中心にNPO団体の中間支援や若者・女性の就労サポート、地域の居場所づくりなど、市民が協働しあう空間や支え合う広場づくりに取り組んでいる中山光子さんに、生きざまやNPO支援のこと、当財団への期待についてお聞きしました。

無縁だったボランティアに触れ深い感動を味わった

宝塚にやってきたのは阪神・淡路大震災の翌年のこと。屋根のブルーシートや公園の仮設住宅を見て、まだこんな状態だったの…と衝撃を受けました。しかし私はボランティアとは関わりのない人生だったので、よそ事のような感覚でした。やがて子どもの手が離れ、コープこうべのメイトに。配属された地区活動本部ではコープサークルやくらしの助け合いの会などを支援する業務を担いました。仕事を通じてですが、ボランティアについてよく知ることができ、社会貢献に取り組む人たちに深く感動しました。NPOについても学ぶ機会があり、活動内容はボランタリーだけど持続可能なためにお金を回す仕組みに強い関心を持ちました。ヨガ教室で宝塚NPOセンターの前事務局長と知り合ったのがご縁で、48歳のときセンターの職員に。ずっと宝塚に住むつもりだったので、このまちをよくしたいという思いがあったんです。偶然中学時代の恩師からいただいた手紙に「40代をどう生きるかであなたの人生が変わる」とあり、気持ちが固まりました。40歳でコープと関わることで道が開かれ、今の自分があるんだなと思いましたね

就労支援というもうひとつの社会参加に力を注ぐ

宝塚NPOセンターは、課題解決に取り組むNPOやコミュニティビジネスなど、地域を元気にしたい人を応援することで、市民参加の場とやりがいの創出をめざしています。たとえば福祉園芸によるまちづくりを実践する活動や地域ぐるみで学童保育を担う子育て支援などは、市民の気づきや思いが形になったもの。私たちはこのようなNPOの中間支援組織として[市民活動の交差点]をめざす一方、就労支援という仕事を通じた社会参加にも力を
入れています。私が事務局長になってから、地域の事業者さんや地縁団体の力を借りながら就労部門に力を
入れました。その結果として、兵庫県で4番目の地域若者サポートステーション(厚生労働省受託事業)を宝塚に設立。年間100人近い若者の就職が決定するほか、生活困窮者の就労サポートや女性の就職講座など
にも取り組んでいます。

自分の言葉で活動の本質を問い直してほしい

今NPOの解散が増えているのをご存じでしょうか。組織に若い人が入らないので、代替わりができず解散する。またNPOは毎年書類を提出する義務がありますが、高齢化等の理由でそれができず、任意団体に戻って活動を継続する。そういうケースも多くなっています。組織の形にこだわらなければ、任意団体もあり、だと思います。その団体が活動しやすい形があるはずですから。NPOは書類さえ整えば作ることができますが、本当にNPOでいいのか、私たちはその問題を考えています。もしあなたがNPOの設立を検討しているとして、「誰をハッピー
にしたい?」「今動かなかったらこの地域はどうなる?」という質問に、自分の言葉で活動の本質を語ることができるか、考えてみてください。そのことを通じて、自分たちと社会のあり方を考えることになります。社会の変化に伴い、昔では思いつかないような問題に取り組む団体が出始めています。そのような団体にもきめ細かな対応をすることは、ともしび財団と財団を応援している方々が社会を動かすことになります。大いに期待しています。

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河合将生さんのちょっといい話

office musubime代表

市民活動を続けるにはテーマの追及と組織運営の両輪が不可欠です

写真:河合さん顔写真

大学卒業後、国際協力分野のNGOにボランティアスタッフとして参加。その後、国際交流・協力分野の中間支援組織へのインターンシップ、職員を経て、office musubime (オフィス ムスビメ)を2011年7月に設立。寄り添って伴走する第三者として、身近な相談相手や多様な人・団体をつなぐ役割を通し、各団体の支援に取り組む。大学の非常勤講師としてNPO論やボランティア論などの担当も。

「さまざまなテーマを持つ各団体が必要とする支援をより柔軟にそしてより効果的に」を心がけ、非営利団体の心強い伴走者として人や資金等の問題をコンサルティングする河合将生さんに、組織基盤強化の重要性や当財団への期待についてお聞きしました。

NPOでの持続可能な働き方を探る

私は高校時代、ベルリンの壁崩壊や冷戦の終結など社会の変革を報道で知り、世界と関わる仕事がしたいと思いました。大学では国際政治学を専攻し、ゼミ論文は日本の国際協力について「NGOやボランティアがますます重要になる」という内容を書いたんですが、ふと自分はNPOやNGOの現場を知らないことに気づきました。

そこで子どもの権利をテーマにした団体でボランティアを始めたんです。始めてみると、NPOやNGOには情熱的で魅力あふれる人が多いのに驚きました。しかし職場の環境は厳しく、あれほど情熱的に働いていた男性スタッフが結婚を機に辞めてしまうことが多い、何か手立てはないだろうかと思いました。

非営利組織における持続可能な働き方を研究するため大学院に行き、インターンシップとして関わったのが関西国際交流団体協議会で、1年後には職員に。働くうちに、より個別に寄り添った支援が必要になってきていると考え、フリーのコンサルタントとして独立しました。

潤滑なコミュニケーションづくりに合宿は効果的

NPOやNGOは、環境や子育て支援、国際交流など、活動の実践に集中するため、ついつい組織運営が後回しになり、スタッフが長続きしない、お金が集まらないなど、組織が弱体化し、継続が困難に…。そのような状況から、非営利団体の組織基盤強化に対するニーズは高まっています。

もっとも多い相談は資金に関するもので、団体に見合った助成金等を探し、申請のやり方や活動計画の立て方についてアドバイスしています。

最近増えているのは組織内のコミュニケーションに関する悩みです。長年勤めているスタッフと新人の意見の相違や、活動が広がったのはいいが組織の一体感が乏しくなったとか、最初は会計の相談だったのが、話をよく聞くと組織内のコミュニケーション不足が原因だったこともあります。私はメンター(助言者)として定期的な個人面談を行ったり、こまめなミーティングを団体に実施してもらいます。

意外に効果的なのが合宿なんです。生身の人間に戻って一緒に時間を過ごすことでお互いの思いや背景が理解でき、歩み寄ることが可能になります。団体のピンチはチャンスに変わる、初心に返り、みんなで頑張ろうという気持ちが芽生えますね。

ともしびの助成金は草の根団体の背中を押す

ファンドレイジングという言葉をご存じでしょうか?

「非営利団体の資金調達」と訳されるため、寄付や助成金をたくさんもらうためのノウハウのように思われますが、決してそうではありません。これは団体が課題解決をするために存続および成長していくにはどうすればいいかを体系的に整理した考え方で、ファンドレイジングを取り組むことで団体の成長につながります。

仕事柄私は、さまざまな助成金情報に触れてきましたが、ともしび財団の助成金事業は地域でこつこつやってきた団体が次の一歩を踏み出す手がかりになる、秀逸な取り組みだと思います。助成金セミナーや説明会を各地で丁寧に行っています。

助成金説明会の1つである、11月に開催する「助成金申請コツセミナー」に私も講師として参加します。このセミナーでは、助成金申請で押さえておきたいポイントなど申請書の書き方のコツを具体的にお話します。その他にも助成金説明会では、団体同士の交流や事務局への個別相談時間もあり、財団の事務局と団体がキャッチボールできる関係もいいですね。末長く続けてほしいと思います。

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坂西卓郎さんのちょっといい話

公益財団法人PHD協会事務局長
坂西卓郎さんのちょっといい話

共に生きる社会をアジアの人たちと創造
豊かな暮らしのありかたを考えませんか

坂西さんプロフィール写真

坂西 卓郎さん (さかにし・たくろう) 神戸生まれ。大阪YMCA国際専門学校を卒業後、貿易商社を経て、フェアトレード団体にて活動。その後、壁にぶつかり、熊本県水俣市で水俣病患者の支援活動や地域づくりに携わる。2009年に帰神後は参加型開発研究所などでJICA研修に関わり、2010年にPHD協会に研修担当として入職、2012年に事務局長に就任。現在に至る。共著『水俣50年 ひろがる「水俣」の思い』など。

 

自力では来られないアジアの青年を日本に招き、村づくりに役立つ研修を行うPHD協会。受け入れる日本の人々も彼らの真摯な生きざまに多くのことを学ぶようです。当財団の理事でもある坂西卓郎さんに国際ボランティアにかける思いや財団への期待についてお聞きしました。

震災で実感した
地域とつながる大切さ

僕の活動の原点は阪神・淡路大震災です。自宅が壊れ、瓦礫と化した町に呆然としながらも、炊き出しや片づけの手伝いをしているうちに地域の人たちと一緒に活動する楽しさみたいなものを感じました。地元で生まれ育ったものの、隣近所のことはあまり知らなかったんです。ボランティアに興味を覚え始めたとき、高校の生徒会活動でユニセフと関わり、世界の大勢の子どもたちが戦争や貧困で亡くなる現実にショックを受けました。この実態をなんとかしたいと思い、進学した専門学校では国際ボランティアコースを専攻。卒業してすぐにその方面の仕事をしたかったんですが、実践的な英語に慣れるため貿易関係の会社に就職し、その後少しずつNGO(*1)の仕事に近づいていきました。PHDとは国内研修生としてお世話になったいきさつがあり、現在は職員として全体運営に関わっています。
過去の国際協力を振りかえると、現地に箱モノ(学校や病院)を建設したり、最新鋭の機械を導入してもそれらが全然使われないなど、モノや金の一時的な援助ではうまくいかない事例が数多くありました。PHDはそのようなやり方とは一線を画し、岩村昇医師が村づくりのための人材育成に力を注ぐことを提唱し、1981年に設立。毎年アジア・南太平洋の村から青年を招き、農業や保健衛生、地域組織化等について1年間研修してもらう事業を35年間続けています。

アジアの人たちとの交流に
共生社会の温かさを知る

研修は主に農業・保健衛生などのテーマで行います。農業の研修は、アジアのどこの地域でもやっていた昔ながらの持続可能な有機農業を日本の指導者から学びます。アジア一帯は、19
60年代以降、食糧問題を解決する「緑の革命」で、品種改良や農薬、化学肥料を使う農法に変わりました。その結果、農薬を大量に使うことで農業従事者が健康を害したり、在来種とは違い毎年種を購入しなくてはならない仕組みが経済的負担を大きくしている現状があります。また、保健衛生の研修では甘いお菓子が入ってきたことで増えた虫歯など、現地の医療知識をベースにしながら、近代的な病気の対策について学びます。
研修生は日本のお宅にホームステイし、そこから農家や保健センター、病院等に出向いて学習します。日本語の特訓も受けているので、交流会などで語ってもらう機会を設けています。先日、ある研修生は「日本の都会で1年間ホームステイしたが、隣近所とあまり話すことなく終わってしまった。自分の村なら1か月あれば全員と顔を合わせ、話ができる。当たり前に思っていた付き合いや助け合いが実はすごくいいものだと気づいた」と語りました。彼らの素朴な感想は日本の若者には新鮮に映るようで、このようなアジアの人たちとの交流は日本の人々に日々の生活を見つめ直すきっかけを与えてくれます。
平和と健康を担う人づくりは時間のかかる地味な活動ですが、確実に村の課題解決に結びついています。昨年は新プロジェクトとしてインドネシアの研修生による「牛銀行」(*2)もスタートしました。ともしび財団が行う市民活動助成も、市民力を底上げするための人づくりだと思います。ボランティアを実践する人々の熱量をこれからも活かしてほしいものです。

*1開発・環境・貧困・平和などの世界的な問題を非営利、非政府の立場から取り組む団体。 *2農民に牛の購入資金を融資し、育てた後に売却し収入向上をはかるプロジェクト。

3人の研修生と坂西さん

3人の研修生と坂西さん

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山添令子さんのちょっといい話

コープともしびボランティア振興財団専務理事・コープこうべ常務理事
山添令子さんのちょっといい話

生活者としての組合員の感性はすばらしい!
共に豊かな地域づくりに貢献したい

1507山添常務理事写真

山添 令子さん (やまぞえ・れいこ) 1955年生まれ、滋賀県出身。1981年創立60周年の年にコープこうべに入所。広報室、生活文化センターの研究部門(当時)、講座部門担当を経て、1987年から大阪北生協(現在の大阪北地区)に出向し10年半組合員活動にたずさわる。その後コープこうべで機関運営および福祉・ボランティアや生活文化活動を担当。2009年からコープこうべ常勤理事。2013年からともしび財団の専務理事。

「小学校の帰り道、野山を探検したくて3日と同じルートを歩かなかったんですよ」。今も変わらぬ探求心と行動力で、コープこうべの地区活動や当財団の運営に力を注ぐ山添令子さん。組合員活動にかける思いや財団の展望についてお聞きしました。

組合員とともに歩んだ
生活文化活動の日々

滋賀県高島郡(現・高島市)の農村地帯の出身で、生家は檀家が60軒ほどの小さなお寺です。田舎のお寺はよろず相談所のようなもので、借金問題から夫婦喧嘩の仲裁まであらゆる相談が持ち込まれたり、お参りなどで人々が集い語らうところ。今でいう居場所がすぐ近くにあったんです。プライバシーのない生活は苦痛でしたが(笑)、そのような成育環境がいろいろな物事を受け止める視点を育んだのでしょう。私が生協を職場に選んだのは母親の影響が大きいですね。そのころの琵琶湖は水質汚染がひどく、洗剤問題に熱心に取り組む母を見て、女性の活動を支援したいという思いが募りました。生協には生活文化を応援する活動があると聞き、入所を決意したんです。

広報室に在籍した後、コープこうべの60周年記念事業である生活文化センターの設立準備室に異動しました。当時、コープこうべでは20ほどの生活文化講座が行われていましたが、センターは100講座を目標に、企画や広報活動に走り回っていました。その後担当した生活提案情報誌[Vita]ではおもしろい経験をしましたね。職員と組合員女性(公募)による編集チームで制作していたんですが、フラットな関係で議論するため、特集の切り口がどんどん変わり、誰の意見でもない斬新なものに進化していく。「家族ってなに」「子どもを預けること」とか、少々固いテーマでしたが読者の反響は大きかったですね。1+1が3以上の価値を生み出すことや生活者としての組合員の感性の豊かさに驚きました。

ともしび財団の活動は
人的資源の発掘に寄与する

コープこうべ組合員活動のひとつに、高齢者中心の地域の仲間づくりの場[コープふれあいサロン]があります。阪神・淡路大震災の被災者支援活動として当時は仮設住宅で自然発生的に高齢者のつどいの場が作られましたが、仮設に限らず、どこの地域にもあってほしいもの。そのような願いをキャッチしたのがつどいの場でボランティア活動に従事していた組合員です。組合員らの実感が後押しとなり、2000年から地域の高齢者が集うサロンのような場づくりを、コープこうべが支援することになりました。2年間で30か所が立ちあがり、現在54か所でふれあいサロンを開設しています。

姫路のサロンでは〝最近の楽しい出来事〟を順番に語った際、カメラ撮影が話題になり、「僕、長いこと撮られていない」というつぶやきから、次回のサロンで大撮影会を開催。みんなで撮りあいをして盛り上がり、作ったアルバムも大好評だったそうです。別のサロンでは「老人ホームに関心があるが一人で行けない」という参加者の声を聞き、老人施設の見学ツアーを行いました。潜在的な高齢者のニーズを嗅ぎつけ、具現化と共感の輪を広げたボランティアの力はすごい! これからも地域の人たちの多様な思いを受けとめることができるサロンやつどいの場を創り出す応援をしていきたいと思います。

コープこうべは裾野の広い組合員組織で、その中にはまだまだいろいろな力が眠っているはず。先駆的な取り組みや外部団体とつながりを持つともしび財団が、コープこうべに眠っている人的な資源を掘り起こし、それが結果として組合員や地域に還元されるのではないでしょうか。そのような役割も期待したいですね。

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川中大輔さんのちょっといい話

シチズンシップ共育企画代表・*ファシリテーター
川中大輔さんのちょっといい話

 

「市民」になるための意識と行動を育み、思いをカタチにしませんか

「川が汚れているとお魚さんがすめないよね」。小学生時代の疑問がファシリテーター・川中大輔さんを形成する出発点でした。NPOや市民組織のマネジメント研修や協働まちづくりのワークショップでファシリテーターを務めるなど、活動者の頼れる存在として全国中にひっぱりだこ。当財団の運営委員でもある川中さんに市民活動にかける思いや財団に対するメッセージについてお聞きしました。

川中大輔さん

川中大輔さん(かわなか・だいすけ) 神戸市生まれ。
関西学院大学社会学部卒、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了。98年から青少年支援・環境・まちづくり・市民活動支援の市民活動に取り組み、03年にシチズンシップ共育企画を設立。現在、日本シティズンシップ教育フォーラム(J-CEF)事務局長、立命館大学非常勤講師などを務める。共著に『シティズンシップ教育で創る学校の未来』(東洋館出版)。

市民活動で得られる価値を多くの人に伝えたい

小学生時代は、「総合学習」を核に据えて教科学習を展開する授業を受けていました。川の水をくみに行った上で、理科の授業で水質を分析し、家庭科では生活排水について学び、国語の時間は関連の図書を読んだりしました。すると自分も川を汚している一員だとわかるわけです。自分の行動が問題を起こすことにも解決することにもつながるという気づきは大きな発見で、社会問題に関心を持つようになりました。ところが中学校では徹底した管理教育と受験勉強のため、学校で学ぶ楽しさや知る喜びを見失っていくことに。日本が子どもの権利条約に批准したことを報道で知り、子どもの意見も聴いて教育のあり方を考えてほしいと1人で教育委員会に提案書を届けたこともありました。意見があれば発言する…私にはごく自然の行動でしたが、扱いにくい生徒だったと思います(笑)。

高校でも教育のあり方や学生自治に疑問を感じると、提案をまとめたり、先生に詰め寄る始末。相変わらず、めちゃめちゃでした(笑)。教育環境を変えたいと思ってもやり方がわからず、徒労感しか残らない。そんなとき学生ボランティア組織に誘われ、子どもの野外教育キャンプを手伝ううちに、一緒に創り上げていく喜びに開眼。自らが思い描く教育の形があれば、それを要望するのではなく、自分たちで学びの場を創ればいいことに気づいたんです。その後、多くのNPO活動者と出会い、たとえば介護保険制度や子育てひろばなど、市民の実践が行政を先導し、社会システムが創られている事実も知りました。このような体験を同世代の大学生に言うと「その時間、バイトしたら儲かるのに」という反応がほとんど。自らが望む社会変革を実現しうる活動であり、その過程で気づきや成長があり、人とのつながりが豊かになるといった市民活動の価値を伝えていきたいと強く思いました。

イギリスで制度化されていたようなシチズンシップ教育(市民性教育)を日本でも展開しようと大学院在学中に[シチズンシップ共育企画]を設立。「私」の思いを大切にしながら、社会参加していく市民が育つことを目指して、社会を動かす一員としての自覚や自信、問題解決能力を育む学びの場づくりにも力を入れています。またユースACTプログラムでは高校生対象に参加者が自らの問題意識に立脚したボランティア活動のプロジェクトを企画運営する実践体験機会を学校外で提供しています。

仲間を増やすには身近な誰かを誘うこと

草の根の市民グループが社会で影響力を持つレベルになるには、ともしび財団のような助成財団は貴重な存在ですが、資金提供に留まらず、活動のノウハウを学び合ったり、団体間の協働を促すしくみができれば、ステップアップにつながります。そのような分野も応援してほしいですね。

活動者に提案したいのは身近な誰かを「誘う」こと。ちらしやHPの作りっぱなしでは、誰かを誘ったことになりません。多勢の無関心層を動かすのは難しいので、関心のありそうな身近な人を誘ってみては。人は誘ってくれると嬉しいものです。あなたの活動を遠目で見ている周りの人に働きかけ、活動する喜びを分かち合っていけるといいですね。

*ファシリテーターとは、参加型の会議や学習、創造の場での進行・促進役

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三上公也さんのちょっといい話

株式会社ラジオ関西報道制作局専任局長兼エグゼクティブアナウンサー

人生の後半期こそ、ボランティアを
その行動が心身の健康と充実につながる

三上さんインタビュー写真

三上 公也さん (みかみ・きみや) 1956年生まれ。日本大学芸術部放送学科卒。1979年株式会社ラジオ関西にアナウンサーとして入社。情報番組や音楽番組など数々を担当。現在「三上公也の情報アサイチ!」のメインパーソナリティを務める。報道制作局専任局長兼エグゼクティブアナウンサー。趣味は乗り物全般(とくに鉄道と飛行機)。FeelKOBE観光推進協議会委員、コープ・ステーション「おはようコラム」担当。

 

朝一番のニュース・情報が満載の人気番組[三上公也の情報アサイチ!]。毎週火曜日の〝ともしび!朝ボラ情報〟(2015年3月末終了)では、(公財)コープともしびボランティア振興財団が助成するボランティアグループが出演し、活動内容やその意義について語りました。メインパーソナリティの三上公也さんに番組のようすや財団に対するメッセージについてお聞きしました。

ボランティア活動者の
共通点は元気で明るい!

〝ともしび!朝ボラ情報〟は約2年間続きました。子育てや福祉、環境保全、まちづくりなど元気なボランティアグループが毎回登場され、スタジオはとても賑やか(笑)。生番組のため、早朝のハーバーランド本社まで来ていただくか、もしくはスタジオと電話で中継し、放送することもありました。数人での出演とか、人形劇で使うパペットや昔の手作りおもちゃなど、活動に関する小物を持参された方も結構いらっしゃいましたね。

放送前、たいてい「緊張しています」とおっしゃるのですが、マイクの前に座るとなかなかどうして(笑)、落ちついてわかりやすく話されます。ときには思いが強すぎて、コーナーのエンディングにひっかかることも。時間内に終了できるか、ヒヤヒヤしたこともあります(笑)。放送期間中、計109グループが各々に個性を発揮されました。共通点は元気で明るく、表情がキラキラ輝いていること!まず自分たちが活動を楽しんでいる姿がとても印象的でした。

ともしび財団は協同の
精神を象徴する存在

私は東京出身で、大の巨人ファンなんです。私以外の家族はみな阪神ファン。巨人が勝つと家の空気がよどみ、阪神が勝つと家の中は平和そのものなんです(笑)。そのようなささやかな日常のひとコマを一瞬でかき消したのが阪神・淡路大震災。私が神戸に住み始めて16年目のできごとでした。当時[三上公也の朝は恋人]という番組を担当していて、自宅で朝刊を読んでいたら、いきなりゴォーという音とともに突き上げられ、あのすごい揺れが。家族や親戚の無事を確認した後、すぐに会社のある須磨(当時)に車で向かいました。その夜は一旦帰宅し、約1時間仮眠したのち、徒歩で被害状況をつぶさに取材しながら出社。69時間、CM抜きで震災報道を担当したのですが、停電でテレビが映らない中で、迅速に情報を発信するラジオの役割は大きく、ラジオアナウンサーの使命を強く感じました。

その翌年、コープこうべでは組合員に限定しない、ボランティア活動を支えるためのともしび財団が設立されましたね。ボランティアは無償でできると思いがちですが、人が動けばお金が必要になります。朝ボラに出演されたみなさんは、声を揃えて「財団によるボランティア活動の支援はとてもありがたい」とおっしゃっていました。財団の20年間のあゆみは、神戸の復興に尽力したボランティア活動の礎になったのだと思います。だから私が財団に期待したいのは、これからも末永く運営を続けていただくこと!このひと言に尽きます。ともしび財団は「一人は万人のために万人は一人のために」を象徴する、もっともコープらしい取り組みだとも思うのです。ですから〝ともしび!朝ボラ情報〟の番組再開をしたいですね。

人生の後半期にボランティア活動に参加するのは、社会の課題解決のみならず、自身の居場所づくりや認知症予防など、心と体の健康につながるといわれます。もし、私がボランティアをするなら、職業柄、朗読か絵本の読み聞かせかな(笑)。あなたも「これ、どうかな?」と思うような活動があれば、扉を叩いてみてはどうでしょう。考えすぎず、動いてみることが大事なのかもしれませんね。

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