中村伸一郎さんのちょっといい話

NPO法人スマイルポケット 代表理事
中村伸一郎さんのちょっといい話

子どもと一緒に笑顔を
地域ぐるみで子育て世帯を応援しよう

中村 伸一郎(なかむら しんいちろう)さん

1965年、神戸市生まれ。2000年、丹波篠山市に移住し、家具工房GAKUを開設。防災啓発を行うかたわら、全国各地の被災地でもボランティアとして活動。福島の親子を招く、笑顔つながるささやまステイを2015年から引き継ぎ開催。2020年からは、子育て世帯の支援活動を始め、2022年からNPO法人スマイルポケットの代表理事を務める。社会福祉士、防災士、インテリアコーディネーター。

私たちは悩みがあったとき、誰にも相談できないと不安や孤独を感じてしまうものです。たとえばワンオペ育児のような状況は母親の負担が大きく、それがシングルマザーの場合、精神的経済的な苦労は計り知れないかもしれません。NPO法人スマイルポケットは笑顔で子育てができるよう、しんどいママや子育て世帯に寄り添う活動を行っています。代表理事の中村伸一郎さんにお話を伺いました。

 

被災地支援も!
地域の子育ても!

私はかつてシステムエンジニアでしたが、モノづくりに携わりたくて脱サラし、家具職人になりました。丹波篠山市の農村部に工房を設け、木の風合いを生かしたオーダー家具を手がける一方、オフの日はいろいろなスポーツを楽しんでいました。あるとき、バレーボールをやりたくなり、当時流行っていたmixiで仲間を探したところ、未経験者も参加しやすいサークルを見つけることができました。そこには耳の不自由なメンバーがおり、ろう者チームの練習のお手伝いを頼まれたのがボランティア活動の第一歩でした。手話を少し学び、初級パラスポーツ指導員の資格も取るなど、ボランティアってちょっと楽しいなと思いましたね。

そんな私がボランティアにどっぷりと関わるようになったのは、友人からの頼みごとがきっかけでした。彼は2012年の春、東日本大震災・福島第一原発の事故で放射能の影響を受けている地域の子どもや保護者を丹波篠山市に招く取り組みを始めたのですが、たまたま私が8人乗りのミニバンを持っていたので送迎を依頼されたんです。「それぐらいなら!」と気軽に引き受けましたが、遠い出来事のように感じていた震災ですが、被災者のみなさんと実際に出会ったことで、もっと深く関わりたいと思いました。この活動は[笑顔つながるささやまステイ]として現在も継続中で、毎年、楽しい時間を過ごしてもらっていますが、2020年はコロナで一時中止になりました。用意していた30キロの米をどうしようかと思案していたところ、一斉休校で学校給食がなくなり、お腹を空かせている子どもがいるかもしれないと地元のパン屋さんが月数回パンの配布を行っていることを耳にしました。そこに便乗させてもらい、米を小分けにして配りましたが、そのうちにあちらこちらから食材等が集まるようになりました。シングルマザーが大変な状況で子育てしているとか、生活苦で食事が十分とれていないなどの情報が寄せられていたので、地域ぐるみの活動にしていこうと[丹波篠山の子どもの食と健康を考える会]が発足したんです。子どもたちの遊び場づくりを2か月に1回開催し、2021年にはお弁当の配布も始めました。

 

地域が抱える問題に
目を向けてみて

その一方で、災害そのものをテーマにした活動の[みんなで減災し隊!]を2016年に立ち上げました。福島第一原発の事故による放射能から、子どもたちを守ろうと頑張っているママたちを取り上げた映画『小さき声のカノン』の上映会が地元であり、災害全般について学びたいという意識が高まったからです。防災や減災に関する講座の開催や避難のポイントなどをまとめた『たんばささやま親子防災ノート』を2021年に発行しました。実は2014年の丹波市豪雨災害のとき、私は被災家屋の片付けに駆けつけたことがあり、以降、各地の災害ボランティアに参加するようになりました。家族を守り、被害を最小限に食い止めるための防災や減災の知識を多くの人に知ってほしいと思います。

[丹波篠山の子どもの食と健康を考える会]は2022年に法人化し、翌年4月[NPO法人スマイルポケット]として活動することになりました。月1回食材などを手渡す「ささっこスマイル便」、思いっきり遊べるみんなの居場所「ささっこ青空ひろば」、仲間づくりや情報交換ができる「ひとり親世帯の交流会」、気軽な食支援として利用できる「ささっこ弁当」の配布などを行っています。ささっこスマイル便の特徴として、地域の協同組合の協力を得ていることが大きいと思います。食材は「コープこうべ協同購入センター丹波」さんの冷凍冷蔵庫や倉庫で保管してもらい、仕分けの場所も使わせていただけるのでとても助かります。毎回コープ委員さんや地元企業のボランティアさんも作業を手伝ってくださいます。「JA丹波ささやま」さんからは直売所の売れ残り商品をいただくなど、食材の種類が増え、豊かになりました。このような地域ぐるみの活動を通じ、困っている子育て世帯とつながり、助け合える関係が築けたらと思っています。子どもたちの無料学習支援やシングルマザーの就労支援についてもいつか、取り組みたいですね。

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大竹修さんのちょっといい話

被災支援ボランティア団体 「おたがいさまプロジェクト」代表
大竹修さんのちょっといい話

被災地に笑顔を届け、思いやりの輪を広げよう

        大竹 修(おおたけ しゅう)さん

1978年 神戸市生まれ。都内のIT会社で働いている時に東日本大震災が起こり、石巻市で被災地支援を開始、その後の西日本豪雨をきっかけに、これからの社会を担う若者たちと一緒に「おたがいさまプロジェクト」を設立する。2019年より泥で汚れた写真を洗浄する写真洗浄事業を開始。またフリーでデザインや映像の仕事をしている。「自信を持って感謝と謙虚に」がモットー。

近年、豪雨による水害が各地で頻発しています。泥水に浸かった家財類は腐敗を避けるため、廃棄を余儀なくされますが、写真は「写真洗浄」という方法で残すことが可能です。当財団の助成団体である「おたがいさまプロジェクト」は被災地での支援活動と並行し、神戸市内で写真洗浄を行っています。代表の大竹修さんにお話を伺いました。

人を思いやる気持ちが
自分を変えた

私のボランティア歴は約20年になりますが、それまでは市民活動とは無縁の人生でした。20代から東京でITの仕事をし、忙しいサラリーマン生活を送っていたある日のこと、コンビニの前で不思議な光景を見ました。精神症状をもっている男性なのか一人で大声を出しているところに、若い女性がそのコンビニで買った水を「よければどうぞ」とごく自然に、笑顔で渡されました。そのあまりにも自然な行為に男性の独白が止み、しばらしくした後「ありがとうございます」というコミュニケーションが生まれたのです。私はその彼女の行動があまりにも美しく見え、自分もそちら側の人間になりたいと漠然とボランティアに興味をもちました。まず一人ですぐにやれるものとして思い浮かんだのがごみ拾いでした。当時、散歩コースの臨海地域はドライバーによるごみのポイ捨てが多かったのです。

最初、空き缶はしゃべらないから気楽でいいやと思っていましたが(笑)、1年ほど続けるうちに他人と心を通わせるべきだと思うようになり、次に見つけたのが炊き出しのボランティアでした。毎週土曜日の夜、路上生活の人たちに炊き出しを配ります。「ありがとう」と言われると自分もうれしくなり、人と心がつながる大切さを経験しました(その頃の「お互い様です」という言葉が団体名の由来です)

その後2011年、東日本大震災が起こり、知り合いのIT企業が支援団体を立ち上げたと聞き、運営スタッフに参加し、月数回、石巻の子どもたちに会いにいきました。そのとき自分は子どもという存在の大切さに気づき、自分の活動が子どもたちのためになればという意識が芽生えました。

写真洗浄を通じて
防災意識とやさしさを

2018年、実家の事情で神戸に帰ることになり、退職後の自由な時間をどう過ごそうかと思っていた矢先、西日本豪雨が起こりました。私はすぐさま[被災地NGO協働センター]が企画したボランティアバスに乗り込みましたが、帰りの車内で「活動したい人が集まれば、バスを提供できますよ」と伺いました。「自分もやってみようかな」と後日事務所を訪ねると、人を募るなら団体を立ち上げないといけないということで、あれよあれよという間に「おたがいさまプロジェクト」(おたプロ)が立ち上がりました(笑)

ボランティアバスは毎回、定員に達しますが、一方で“被災地に行けないが何かお手伝いしたい”という問い合わせを多くいただきました。やはり阪神淡路大震災を経験している神戸の方は被災地支援に思いが強いことを実感し、そんな温かい気持ちに応えることができたら、と思いついたのが写真洗浄で、偶然、現地の写真洗浄団体もアウトソーシングしたいと考えていたようです。

2019年6月、三宮の青少年会館で写真洗浄が始まりました。写真は泥水に浸かるとバクテリアが写真のゼラチン成分を食べていき、やがて見えなくなっていきます。乾燥させればバクテリアの被害が止まるため、そのような状態の写真を一枚ずつメラミンスポンジやアルコールで洗浄します。その後ポケットアルバムに収め、現地にお返しします(送料含め、全て無料)。これまでに約1万5千枚の写真を救い、被災者のみなさんから大変喜ばれました。また写真洗浄は小学生から年配まで活動できるため、参加者からは「親子で活動できていい経験になった」「あたたかい気持ちになれた」などの感想が寄せられています。

今、目標にしているのは神戸に写真洗浄の拠点を作ることです。写真や機材の保管に苦労しているので、決まった場所があれば、活動に集中できます。また情報発信の場として、写真洗浄の認知度を高められます。最近、浸水被害のあった秋田市で写真洗浄を呼びかけましたが、写真洗浄を知らず、たくさんの思い出が廃棄されているようすでした。

おたプロはボランティアの意義を伝えるため、現在17名の青年メンバーの育成に力を入れています。彼らを軸に写真洗浄の拠点が地域防災や思いやりを広める場として活用できればと願っています。

 

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福本大介さんのちょっといい話

兵庫こども食堂ネットワーク代表、へいなんこども食堂代表役員

活動団体がつながることで
こども食堂の継続をサポートする

福本 大介(ふくもと・だいすけ)さん

1983年生まれ、2018年へいなんこども食堂を開設。2021年兵庫こども食堂ネットワーク代表に就任。「私の趣味は人だすけ。毎日出会う人にどうしたら喜んでもらえるか、ということを常々考えて行動しています。そんな私の一番苦手なことは妻に喜んでもらうこと。これができたら向かうところ敵なしなのですが……しかし、これが難しい(笑)」

 

日本で「こども食堂」が注目されだしたのは約10年前のこと。こども食堂は食を通じて子どもたちの成長を見守り、地域のコミュニティづくりにつながる活動として、その輪が広がっています(全国約7000か所)。各地にこども食堂の中間支援組織がつくられているなか、兵庫県では[兵庫こども食堂ネットワーク]が県内100か所以上の活動団体をサポートしています。代表の福本大介さんにこども食堂の現状と展望についてお聞きしました。

 

食を通じて
地域の課題に向き合う

私は西宮市で[へいなんこども食堂]を運営しており、地域での取り組みをきっかけに兵庫県のネットワーク活動を担うようになりました。まずは地域の活動についてお話しましょう。へいなんこども食堂を開催したのは2018年のこと。地域の居場所づくりとして、ご近所のみなさんに一緒に夕食を食べませんかと声をかけたのが始まりでした。その頃は大勢で食卓を囲み、食後、子どもたちは射的や輪投げなどの身体を使ったゲームで遊び、大人はコーヒーで雑談するなど、ゆったりした時間を過ごしました。年3、4回の開催でしたが、多いときは100人ぐらい集まるので、メニューは毎回カレーを。つくり手が私と妻、ママ友の3人しかいなかったので、調理が簡単で人数調整のしやすいカレーはまさに理想のメニュー!味もまあまあ好評でしたよ(笑)。子ども100円、大人300円の会費を次の運営費に充てるなど、ギリギリの予算でやり繰りしました。

その後、新型コロナウイルスの流行により、こども食堂を中止せざるを得なくなりました。当時、西宮市の学校給食が牛乳、パン、チーズだけの簡易給食に切り替わり、それがひと月ほど続いたとき、子どもたちがお腹を空かせていることに気づいたんです。この状況でやるべきことは食支援だと考え、お弁当の無料配布を計画しました。食支援は命綱でもあるので、年3、4回だったこども食堂を週1回(毎週金曜日)に変更。コロナ禍でこども食堂を中止か、減らしているところが多いなか、私たちは敢えて増やす方向に転じました。コロナによってますます人のつながりが希薄になっているので、お弁当を通じて人を孤立させない、孤独にならないことに重きをおこうと思ったんです。

西宮市の補助金を申請し、資金を確保しつつ、他のこども食堂を訪ね、食材の調達などについて教わりました。コープこうべや大手量販店、食品メーカー、NPO法人フードバンク関西とつながりを持つことができ、ともしび財団の[やさしさにありがとうひょうごプロジェクト]の助成(2021年)をいただいたのはそのときのご縁です。2020年6月、30食のお弁当テイクアウトからスタートし、現在は10人ほどのボランティアスタッフが200食以上のお弁当をつくっています。やっていくうちに子どもだけで留守番をしているとか、ヤングケアラーや引きこもりなど、取りに来られない厳しい現状が見えてきたので、そういう人たちのほうがより食支援が必要だと考え、お弁当の宅配も行うようになりました。

 

ネットワークにより物資と情報を共有

[兵庫こども食堂ネットワーク]は県内のこども食堂が連携し、物資や情報、ノウハウを共有することで活動が継続できるようにサポートする中間支援組織です(2017年2月発足)。物資においては6か所(神戸・西宮・尼崎・赤穂・明石・北部地域)に拠点を設け、隅々のこども食堂に食材を届けやすくする体制を整えました。都心部は物資が集まりやすいため、地域間の格差が生じがちでしたが、ネットワークによって平等かつ希望に沿った分配が可能になりました。ただ、賞味期限の近い余剰物資がドンと寄せられてくることが多いため、食材のバランスが安定しません。定期的な食材の提供や分配にかかる配送コストが削減できれば、というのがさらなる願いです。

日々の活動に追われると助成金制度のような気になる話題を見逃しがちですが、ネットワークがあることで情報共有ができるようになりました。こども食堂の展望を見据えた取り組みとして、企業、行政の担当者との情報交流会や専門の講師を招いた研修会なども行っています。こども食堂をやってみたいという人の開設相談もお受けしています。

こども食堂は困窮者やひとり親家庭の支援、地域の居場所など、団体によって目的が違いますが、グレーゾーンの子どもを見つけやすいという共通点があります。そういう意味でもこども食堂は社会に不可欠な活動だと痛感します。こども食堂によって子どもを救うだけでなく、支える側の私たちが実は支えられていることに気づくことがあります。助け合いの輪をこれからも大切にしたいですね。

 

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太田直美さんのちょっといい話

はまなすの会 代表

がんをはじめ、医療や介護の
困りごとを地域でサポートしよう

太田 直美さん(おおた・なおみ)

1961年生まれ。20歳で看護師免許所得。以降看護師業務をこなしながら家事と3人の子どもを育てる。47歳のとき急性骨髄性白血病となり、49歳で骨髄移植を行う。その経験上、がん患者サポート体制の必要性を強く感じ、賛同者を得て2017年「はまなすの会」を立ち上げ、2022年4月退職を機に「はまなすの家」を開設。

 

同じ悩みを抱える人と語り合うことで気持ちがふっと軽くなる……とりわけ深刻な病気のがんについて常時支えてくれる人や場所があれば、大変心強いものです。当財団事業「ボランティア活動助成」の今年度助成団体である[はまなすの会]は西播磨エリア初のがん患者会として、新たな生き方を見つける憩いの場所活動を行っています。代表の太田直美さんにお話をお聞きしました。

 

退院後こそ、共感できる仲間や
助けがほしかった

30年以上看護師を務め、かつ、がんサバイバーでもある私は、その両方の経験からがん患者会[はまなすの会]を立ち上げました。看護師になったきっかけは幼少期より耳鼻科通いが日課で、その仕事ぶりに憧れたことと、農家の女きょうだいの長女ゆえ、「あんたは家を守らなあかん。男と同じように仕事せなあかん」と言われ続けて育ってきたため、結婚して子どもが生まれても正職にこだわりました。子育てしながら、夜勤をこなすのはとてもしんどく、くじけそうになりましたが、それでも辞めなかったのは自立した女性でありたいし、娘たちにもそうなってほしいと願ったからです。
そんな私に突然襲いかかったのが血液のがんである急性骨髄性白血病でした。今でこそ、成績の良い治療薬が開発されていますが、当時「あなたの場合の成功率は50%ですが、骨髄移植しか助かる方法はありません」と言われました。移植の準備段階として、がん細胞を減らすための抗がん剤治療(完全緩解)を行い、主治医は「この治療では一番優しいのでそう副作用もありませんよ」と言いましたが、脱毛以外のありとあらゆる副作用が……。仕事で抗がん剤治療に携わったことはありますが、「こんなにつらいものなのか」とつくづく身に染みました。
移植直前には大量の抗がん剤投与と全身への放射線照射を行い、わずかに残っているがん細胞を叩き、その後にドナー様から頂いた骨髄を血管から入れるのですが、この副作用もさらにきつかったです。移植した骨髄により、正常な血液細胞を作ることができ、3か月後に退院しましたが、体重は16キロも減ったまま。ペットボトルの蓋が開けられないほど体力が衰え、室内では這って移動する状態でした。同居家族はいても日中はひとりのことが多く、家事をする体力も気力もありません。誰かに助けてほしいけれど助けてもらえる人もいず、自然と他人に対して壁を作っていました。入院中は他の患者さんとおしゃべりし、慰めあうことができますが、退院後のほうが思うように良くならない不安や恐怖、孤独を強く感じましたね。
その後、情報収集と体慣らしを兼ねて、兵庫県内の患者会をくまなく訪ねましたが、どこも自宅から遠いところばかりでした。日本は医療水準の地域格差をなくすことに力を入れていますが、がん患者のサポートについては格差が大きいことに気づき、2017年、賛同者と一緒にがん患者会「はまなすの会」を立ち上げました。

地域で仲良く助け合う
憩いの場所づくりを

定例の活動として一般的な医療や介護に関する講演会を月1回のペースで開催しています。住民が身近な医療や介護について学ぶことは自身や家族に役立つだけでなく、医療従事者のストレス軽減につながるものです。その講演会の前には当事者等が集まる「がんサロン」を開くほか、毎月第3金曜日は主治医に聞きにくい悩みなどを医師に聞く「がんメディカルサロン」を開催しています。このようなサロンでは同じ経験をした人同士が出会うので、悩みや不安を共有でき、気持ちが癒されます。また医師から具体的なアドバイスをもらうことで、長年の疑問が解決したり、生きるベクトルが変わるケースもあります。現在、行政と連携して佐用にもサロン活動が拡がっています。
しかし、月1回の開催では予定が合わず、サロンに参加できない人が結構おられました。私自身、日常生活を取り戻すにはいろいろな援助を受けながらつらい状況からいち早く抜け出すことが大事だと経験しました。そこでいつでもがんピアサポートができる場所をつくろうと、クラウドファンディング等の支援をいただき、2022年4月[はまなすの家]を開設しました。
一部のがんは治すことが可能な病気となりましたが、治療の影響による後遺症など、大半は元の体に戻りません。その事実を受け入れ、いかに自分なりの答えを見つけていくか、難しい問題です。また、年齢や認定の基準がネックとなり、公的な扶助サービスが使えないことも深刻です。そのような状況に少しでもお役に立ち、地域のいろいろな人が気軽に集い、仲良く助け合う場所になれたらと願っています。

 

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東野由美子さんのちょっといい話

子育て支援グループ てとて広場 代表

市民レベルで取り組む居場所は
ソーシャルサポートの宝庫です

 東野 由美子さん(ひがしの・ゆみこ)
3人姉妹の長女。高校卒業後21歳で結婚、22歳で出産。
3人の子どもを育てながら、大学で小学校教員免許取得。
地域の子育てサークルやボランティア活動に参加する中で、
地域の人たちの温かさと子育て支援の大切さを実感する。
児童館、保育園、大学等の勤務を経て、現在は市役所で
こども福祉に関わる仕事をしている。
2021年4月子どもの居場所「てとて広場」開設。

 

さまざまな理由で集団生活になじめず、自分の居場所がないと感じる子どもが増えています。そんな生きづらさを抱えた子どもや若者、保護者の居場所づくりを行っているのが、子育て支援グループ「てとて広場」(西脇市)です。今年度の[やさしさにありがとうひょうごプロジェクト助成]に選ばれた当団体の活動について東野由美子さんにお話をお聞きしました。

 

周りの声かけや寄り添いが
子どもの救いになる

てとて広場は2021年4月、西脇市で一軒家を借り、生きづらさを抱えている子どもや保護者のための居場所を開設しました。地元には大きな児童館がありますが、そこにも行けない子どももいるので、手作り感あふれるこじんまりした空間が必要と考えました。なぜ居場所活動を始めたのかというと、私自身が生きづらさを感じていた当事者だったからです。私は高校生のときに母子家庭となり、母親は持病を抱えながらの就労のため、ぎりぎりの生活でした。貧困生活から早く逃げたくて21歳で結婚。翌年に出産しましたが、周りに同世代のママがおらず、孤独な子育てを経験しました。2人目以降は気持ちに余裕が生まれ、地域の子育てサークルに参加するなど楽しい育児ができましたが、その2人目(真ん中の娘)が中学時代に不登校となり、不安と心配ばかりの時期を過ごすなど、不登校の保護者の気持ちも味わいましたね。
子どもたちは自立し、夫婦2人の生活が始まったのですが、社会に役立つ活動がしたいという気持ちがふつふつと沸き起こりました。子どもの貧困調査に関する本を読んだとき、ソーシャルサポートという言葉に心を揺さぶられました。周りの声かけや寄り添いが子どもの救いになると書かれており、かつての貧困時代や不登校で苦しかった思い出がよみがえったんです。そのような社会課題について国や自治体の施策もありますが、声かけや寄り添いなら私にもできるはず。教員になる夢が諦められず、専業主婦時代に大学で教員免許を取得したこともあり、子ども支援をライフワークにしようと決意しました。
そんな矢先、2人の女性に出会いました。ひとりは学校心理士の資格を持つ特別支援学校を定年退職した先生で、退職後も子どもの発達を促すような活動をしたいと思っていたそうです。もうひとりは、不登校だった私の娘が現在フリースクールで働いており、そこの親の会に参加していた人が西脇市在住でした。同じ思いを持つ仲間との出会いが大きなステップになり、活動グループを立ち上げました。

きめ細やかなサポートで
一人ひとりに生きる力を

居場所はグループ名と同様[てとて広場]と呼んでおり、0~18歳の子どもが自由に過ごせる場所として、毎週火曜日と土曜日の10~17時に開放しています。遊んだり、勉強したり、寝転んでいてもかまいません。テレビやパソコン、マンガなどもあるので自宅の延長気分で過ごすことができます。在宅で子育て中のお母さんも息抜きに来てくださいと呼びかけています。両日とも教育大学の学生がボランティアに来るので、宿題や遊びの相手をしてくれます。金曜日の夕方以降は勉強が苦手な子のための学習サポートの時間も設けています。保護者向けには発達の相談や遊びの広場、お話し広場、生活物資の支給、子ども用品リサイクルなどを実施しています。
居場所をやっているうちに特別支援学校の卒業生で就職がうまくいかず行き場がない、あるいは職場でパソコンが使えなくて困っているという実態を知り、障害をもつ若者対象の実用パソコン講座や居場所も始めました。また、協力者の得意分野を生かした体験活動として調理実習や農業体験、手話教室など、少しずつ活動メニューが増えています。
居場所を利用することで子どもたちに変化があらわれています。授業に全く集中できなかった子が今では1時間集中して学習できるとか、自分のやりたいことが見つかり、前に進もうとしている高校生もいます。スタッフ自身に発達の特性があったり、不登校だった人が多いので、ピアサポーターとして個性を尊重した支援が功を奏しているのでしょう。ここでは生きづらさを感じている子と普通に学校に行っている子が一緒に遊んでいます。学校集団とは違い、レッテルのない自然体の付き合いができるのも居場所の良さですね。「どこも無理だったが、ここなら来れる」、「指導的になりがちな公的機関はちょっと」という話を聞くと、てとて広場は最後の砦かなと思ったりもします。想像以上のすごい居場所になってしまいましたが(笑)、これからも子どもたちが健康で幸せに育つ環境づくりに貢献したいですね。

 

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宗政美穂さんのちょっといい話

誰もが安心して暮らせる
福祉コミュニティをめざして

1998年から西須磨だんらんの活動に参加。
須磨に住まいを移し、ホームヘルパーの経験を積み、
2011年に事務局長に就任。
それまで自治会等の地元の活動に参加したことがなかったが、
西須磨で地域活動に関わり、その大切さを実感。
「だんらんでは訪問介護以外にも様々な事業に携わることができて楽しいです。これからも人とのご縁を大切にがんばりたいです」

 

 

困りごとがあったとき、助けてくれるご近所さんがいたら、どんなに心強いことでしょう。そのような誰もが安心して暮らせる福祉のまちづくりをテーマに精力的に活動しているのが[西須磨だんらん]です。エリアのほどよいサイズ感が福祉コミュニティづくりに功を奏しているといいます。当財団でボランティア活動助成にご協力いただいている宗政美穂さんにお話をお聞きしました。

小さな自治会活動から
8千世帯のまちづくりに発展

須磨区は六甲山系や須磨海岸など豊かな自然と歴史名所に恵まれた風光明媚なまちとして知られています。北部はニュータウン、南部は旧市街地で構成されていますが[西須磨だんらん]は南部の約8千世帯を対象に福祉のまちづくり活動を行っています。もともとは月見山自治会福祉部による年に1度の敬老会活動だけだったのが、高齢者問題に関心をもつ女性が多数加わったことで、ふれあい食事会や勉強会など活動が上向きに。その矢先に阪神淡路大震災が起こり、地域で支えあうことの重要性を再認識しました。安心して暮らせる福祉のまちづくりをめざし、1998年5月西須磨だんらんが発足したのです。

組織の立ち上げに私の大学の恩師が関わっており、「住民主体の福祉団体が生まれるから、ぜひそこに行って事例研究してきなさい」という勧めで、大学卒業してすぐの私は「仲間に入れてください」と飛び込みました。なぜ、そのような行動に至ったのかというと、海外NGOでのしくじり体験が私の背中を押したんです。そもそも私が福祉に関心をもったのは母が手話通訳士だったことがきっかけで、大学では国際社会福祉論を受講しました。海外で活動する夢を実現させるため、4年生のとき、フィリピンのNGOが行う短期研修に参加しました。そのNGOは無職の女性に少額貸付をし、自立できるまでの支援活動を行っているのですが、あるときケースワーカーさんから「日本にもこんな活動があるのか。何をしているのか教えてほしい」と聞かれたんです。私はそのような情報をまったく知らず、ひと言も答えられないでいたら、自分の国のことなのに……と呆れられ、とても恥ずかしい思いをしました。ふわふわしたミーハーな気分が吹っ飛び、まずは日本国内の活動を勉強してからだと決意し、恩師に紹介してもらったのが西須磨だんらんでした。とはいえ、当初は自治会や有志の人たちが集まり、ボランティアベースで活動していたので、組織の運営も私の生活もぎりぎり。何とかなるだろう精神で気がついたら24年間居ついてしまっています(笑)。

福祉の担い手も地域の仲間
働きやすい環境づくりを

西須磨だんらんは「生活援助サービス」という介護保険外の事業からスタートしました。これは公的サービスを受けていない人や受けていても足りない人に手助けするもので、お手伝いするワーカー(有償ボランティア)は時間預託として自分が必要なときに使うか、現金の支払いが選べます。時間と気持ちの持ち寄りで助け合いの輪を広げていこうというしくみです。制度内の事業ではミニデイサービスを週3回3か所で実施。それをやっていくうちに外に出かけて人と会うことで元気になるお年寄りの実態を知り、居場所事業を始めました。他団体とのネットワークによる事業では高齢や障がい、低所得などによって家を借りにくい人のための「居住支援事業」や、昨年からは中学生向けの「学習支援事業」も行っています。

このように活動を持続、発展させていくことができたのは立ち上げメンバーが自治会の地縁組織出身者で、地元にすんなり受け入れられたことが大きいと思います。もちろん、活動を知ってもらう努力は必要ですが、スタッフと利用者がPTAやサークル等で顔見知りのケースが少なからずあり、親近感をもたれ、良好な関係を築きやすくなります。西須磨というエリアのサイズ感が福祉コミュニティづくりに適しているのでしょう。

福祉団体はどこも人手不足が深刻で、うちの場合もボランティアの高齢化で70代のワーカーがそろそろ引退の時期を迎えており、50、60代の担い手を増やしていくのが課題となっています。ところが最近、知り合った子育て中のお母さんが、仕事はしたいけれど子どもが熱を出しても急に休みにくくて悩んでいるのを知り、うちならできるだけフォローするよと声をかけ、働き始めてもらいました。ママ友の口コミで子育て世代のワーカーが少しずつ増えています。気兼ねなく、安心して働ける環境は大事なことですね。ワーカーを契機に福祉の世界に興味をもってもらい、福祉コミュニティの輪が広がっていけばと願っています。

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徳山雅治さんのお話

コープこうべの奨学金制度で

地域を支える若者に生きる力を

 

コープこうべ地域活動推進部統括部長
徳山 雅治さん(とくやま・まさはる)

1994年コープこうべに入所後、協同購入センター淡路センター長、コープ稲美店長、店舗事業部を経て2020年から地域活動推進部へ。「淡路島での経験が生協人生のターニングポイントになりました。ともしび財団やコープの先輩に触発され、多様な社会課題が身近に存在していることに気づかされました。地域課題の解決や社会貢献につながる活動をサポートしていきたいですね」

 

 

 

いつの間にか耳なじみのする言葉になった「子どもの貧困」。現在、18歳未満の7人に1人が苦しい生活状況におかれ、将来の進路が大きく左右されようとしています。コープこうべでは次世代を担う若者へのサポートとして高校生向けの給付型奨学金制度を創設し、子どもたちの未来を応援しています。担当の徳山雅治さんにお話をお聞きしました。

孤軍奮闘する
高校生

今年8月、コープこうべでは高校生向けの給付型奨学金制度がスタートしました。学習意欲はあるけれど経済的な事情で就学の継続が困難な高校1年生を対象に、毎月1万円を卒業まで給付するものです。この制度ができた背景には格差社会といわれるなか、コロナ禍で長引く緊急事態宣言によって貧困の深刻度が加速され、若い人たちにも影響が及んでいることなどがあります。コープこうべは、将来の地域を支える若者に生きる力を育んでほしいという願いから、若者支援のひとつとして高校生向けの給付型奨学金制度を設ける運びとなりました。なぜ高校生なのかというと、ほとんどの生徒が高校に進学する時代ですが、経済的な理由で中退するケースが少なからずあり、高卒資格が安定的な仕事につける分岐点でもあり、貧困の連鎖を止める重要なポイントと考えました。

奨学金制度を実施するに先立ち、子どもの貧困について実態調査を行いました。母子家庭など大人ひとりで子どもを育てる世帯の貧困率が50%に近いことから、シングルマザーを支援する団体に聞き取りをしたところ、コロナ禍により経済的に追い詰められ、クラブ活動をやめたとか、塾をやめたなど、諦めてしまう高校生の姿が浮かび上がりました。自立の意識が芽生え、将来の夢がふくらむ高校時代を豊かに過ごしてほしい、学業の継続と体験の応援で夢をかなえてほしい―そのような思いもこの制度に込められています。

申請の募集については高校やマスコミへの呼びかけ、チラシ、ホームページによる広報の結果、128人の応募があり、うち51人が高校からの紹介でした。当初は中学を卒業する前に応募を受け付け、高校1年生の4月からスタートも検討したのですが、高校の先生にヒヤリングしたところ、担任の先生が生徒の生活状況を把握できるのは夏休み前の面談ということがわかり、申請時期を8月~10月に設定しました。送られてくる応募書類のなかにひとり親家庭の実情やヤングケアラー等、想像以上の厳しい現実が見えてきました。コープこうべにとっても社会課題を直接、捉える機会となりました。最終、選考委員会を開催し審査の結果、82人の奨学生が決定しました。

生協は社会課題と組合員を
つなぐプラットホーム

今回の奨学生審査で痛感したのは、子どもの貧困は目の前に存在していたのになかなか見えにくいということでした。生活苦にあえぐ子どもたちに手を差し伸べ、寄り添えるやさしい社会でありたいと切に感じています。私自身、社会の課題を地域とともに解決したいと意識するようになったのは淡路島でセンター長を務めていたときの経験があったからなんです。軽トラも入れない山奥の限界集落に住む高齢の組合員さん宅にどうしたら商品をお届けできるか検討していたところ、地域のヘルパーさんが訪問介護に合わせて配達を引き受けてくださいました。困りごとがあったとき、地域に声をかけたら手を挙げてくださる人がいることに深く感動し、生協が社会課題と組合員をつなぐプラットホームの役割であると実感しました。

今後は相対的貧困問題についてのイベントや学習会を開催したり、くらしの不安を安心に変える生協運動として組合員の参加を広げていきたいです。また、奨学生を含む若い人にもボランティア活動等への参加を呼びかけるなど、さまざまな社会体験への参加のきっかけづくりを提案したいと考えています。若い人を支えたいという組合員が増え、誰ひとり取り残さない豊かな社会を目指していきたいですね。

 

 

 

 

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一ノ間麻紀さんのお話

BONBONCANDY(ぼんぼんきゃんでぃ)にじいろじかん 理事

深刻な不安を抱える
病気の子どもたちに
豊かな未来を実現させたい

ともしび財団では協賛企業やコープこうべとともに社会的課題の解決に
意欲的な市民団体を応援する「やさしさにありがとう ひょうごプロジェクト」
を実施しています。今年度の助成団体である[BONBONCANDYにじいろじかん]は
我が子の闘病経験をもつ母親とすべての子どもたちへのやさしい未来を願う
母親が集い、子どもの遊びイベントや家族の支援活動を行っています。
理事の一ノ間麻紀さんにお話をお聞きしました。

 

 

保育士として保育園や幼稚園で勤
めた後、小児科病棟の病棟保育士
として病気と闘う子どもたちと2年過ごす。
翌年に出産、4年後我が子の病気が発覚。
闘病生活を送る中であらためて
「治療中の子どもたちや家族に大切
なことは笑顔で過ごすことであり
決して子どもの遊びをあきらめて
はいけない!」と同じ想いを持つ
母親達と[BONBONCANDYにじいろじかん]を
立ち上げる。

 

 

子どもにとって遊ぶことは
生きることそのもの

がんは高齢になるほど増えてくる病気ですが、ごく少数の割合で子どもに発症することがあります。その小児がんでもっとも多いのが血液がんの一種、急性リンパ性白血病で、私の娘は4歳のとき、この病気が判明しました。ちょうど自営業をやり始め、子どもを保育園に預けるなどバタバタと忙しい日々を過ごしていたので、「今日からママはお仕事を辞めて、病院で一緒に過ごすことになるよ」と言うと、ママを独占できると思ったのか、とまどいながらも嬉しそうだったのがやりきれなかったですね。
私は小児科病棟の保育士として働いた経験があり、子どもの白血病は治療成績がよく、治せる病気であることや当時の看護師さんに相談させてもらうなど情報を得ていたので、ほかのお母さんよりはかなり救われていたと思います。治療がスムーズに進み、4か月後に退院を迎えることができたとき、「やっとここから抜け出せる、これから楽しい生活が始まるんだ」と期待に胸を膨らませましたが、待っていたのは厳しい現実でした。引き続き自宅での抗がん剤服薬治療の影響で、娘の免疫力はとても低く、菌やウイルスを寄せつけないためには感染対策を徹底しないといけません。つねに消毒薬を持ち歩き、調理ではナマモノの扱いに注意し、人との接触を避け、夜に買い物に行くなど、家に閉じこもる生活が続きました。入院中には予想もしなかった孤独やプレッシャーを退院後に思い知らされましたね。
そんな私をなぐさめてくれたのが同じ病気の子どもをもつママたちでした。なかなか人には言えないつらい体験を語り合うことで気持ちが癒され、元気をもらうことができます。ママたちと情報交換するなかで、病気の子どもたちが遊べる場所をつくりたいねという話題になりました。とくに入院中は体に負担のかかる治療が行われるので、遊びをあきらめてしまい、子どもから笑顔が減ります。子どもにとって遊ぶことは生きることそのもので、子どもらしくいられる時間はいましかありません。私は退院後の子どもが安心して遊べる場所を探しましたがなかなか見つからず、インスタでも問いかけてみたところ、大阪の[※TSURUMI こどもホスピス]について教えてもらうことができました。しかし娘は保育園に復帰することになっていたので、利用は叶いませんでしたが、子どもの尊厳を大切にする取り組みにおおいに共感しました。自分たちもそのような場所づくりをめざそうと2020年3月[BONBONCANDYにじいろじかん](略:ぼんきゃん)の活動が始まりました。

 

小児がんのつらい経験を
未来をよくする力に変えたい

ぼんきゃんでは、退院後の子どもが偏見にさらされず、リラックスしながら楽しめる草花遊び会を開催しています。既製のおもちゃにはない発見や感触、香りを体験し、ちぎったり、すりつぶすなど指先をたくさん使うことで五感を刺激し、心のケアを図ります。病気でない人も参加できるので、病気への正しい理解につながればと思います。子どもの表現を尊重するアートイベントや病院内でも遊べるアートキットのプレゼントも実施しています。

私たちの遊びでは必ず、オリジナル紙芝居『ミケまるとトラきち』を観てもらっています。ストーリーは闘病をしていてもしていなくても、同じ時間を違う場所で過ごしたお友達が互いに敬意を払うという内容で「自分と異なるものをそのまま受け入れる」やさしい社会であってほしいという思いを込めています。

家族の支援活動においては小児がん経験者の家族とWEB座談会を実施し、情報の共有を強化したいと考えています。長期付き添い入院等による子どもの発達やほかのきょうだいのケア、仕事との両立などさまざまな不安や悩みに寄り添い、いま頑張っている家族に手を差し伸べ、小児がんのつらい経験をできるだけポジティブに変換することで未来をもっとよくする力に変えたいと願っています。退院後も寄り添えるコミュニティの実現をめざしていきたいですね。

 

※TSURUMI こどもホスピス/生命を脅かす病気の子どもの学び、遊び、憩い、やってみたいと思うことを叶え、その子の「生きる」を支えるための「第2のわが家」を理念とする活動。

 

 

 

 

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前田裕保さんのちょっといい話

コープこうべ地域活動推進部 拠点づくり推進 統括 (現 第1地区本部 本部長)

社会的課題の解決と地域の
居場所づくりで誰もが
暮らしやすい社会の実現をめざす

 


1989年灘神戸生協(現コープこうべ)へ
入所後、宅配事業一筋。2014年宅配事業部
訪問供給サポート、拠点づくり推進部などを
経て現職。社会課題が多様化する中、公益
性の高い活動を行う地域諸団体とつなが
り、その団体の活動を支援する。「私自身は
DV支援員や炊き出しのお手伝い、伴走ボラ
ンティアなどをやっています。ランニングが
日課となり、いつの間にか適正体重に(笑)。
誰かのために走ることで長続きしますね」

 

ともしび財団では「若者のボランティア人材育成」をめざして高校生の
ボランティア活動を顕彰しています。
その顕彰団体のひとつでもある「県立尼崎西高等学校ボランティア部」は
コープこうべの居場所事業「大庄元気むら」で、地域と協力した多世代交流を
行っています。
居場所事業などの地域活動に携わる前田裕保さんにお話をお聞きしました。

地域の居場所は
ひとや社会を幸せにする

昨年12月、尼崎の大庄地区住民と尼崎西高校による合同文化祭が
「大庄元気むら」で開催され、全国でもあまり例のないものとして大きな
反響をいただきました。
「大庄元気むら」は地域活動推進部が手がける居場所のひとつ。
コープこうべの居場所事業は、2014年に宅配事業の傘下で立ち上がった
「超高齢社会における必要なしくみを構築する」というプロジェクトチームが
始まりです。

それまで宅配事業一筋だった私は突然このテーマと向き合うことになりました。
「超高齢社会の問題は〈健康、孤立、経済〉の3つの不安要素に集約されること。
その解決策として人が集い、不安や困りごとを相談できる場が必要である。
コープこうべには150ほどの店舗があるので、店内の空きスペースを利用すれば
地域の居場所づくりが可能」という提案をすると、なんと私が居場所事業の担当者に。
生協には社会的課題の解決をめざすという命題もあることから、居場所づくりを
しながら社会的課題を解決していくという事業がスタートしました。

居場所事業は店舗の空きスペースや地域のフリースペースを利用し、地域の人たちが
いきいきと過ごせる場の創生を目的としています。
主役はあくまでも地域住民、私たちは見守りに徹することを心がけています。
居場所の設定は高齢化が進んでいるエリアをターゲットに現地をリサーチするところ
から始まります。地域にアンテナを張ると「ここをなんとかしたい」という世話好きな
人が見つかるものです。そんな地域愛にあふれる人がさらに人を呼び、多様な社会的
課題の団体ともつながっていくので、支援と共感の輪が広がりますね。

尼崎の大庄地区は高齢者と単身者の割合が高いエリアで、2017年から調査をして
いました。閉店予定だったコープ大庄を改装し、2019年11月コミュニティスペース
「大庄元気むら」がオープン。
地域の活性化には若い力も必要と考え、地元の学校に声をかけたところ、尼崎西高校
ボランティア部が手を挙げてくれました。
会議の場に高校生がいるとこれまでにないアイデアが飛び出し、みんなが元気に
なります。地域で何かしたいという話題になったとき、「コロナで中止になった文化祭
を地域の人に見てもらえたらいいね」と盛り上がり合同文化祭に結びついたんです。
コロナ禍で開催が危ぶまれましたが、動画やZoom配信を取り入れるなど対策を
徹底し実現できたのは大きな成果でした。

ハッピーな話題はそれだけではありません。高校生が地域の大人と触れ合うことで
進路を決めるきっかけを得たり、孤独な高齢男性がここで知り合いが増え生きがいを
持てたなど、居場所がもたらすパワーのすごさを実感しています。

 

不平等な社会を変えることが
コープこうべの使命

社会的課題については実態を把握するため、いろいろな市民団体を訪ねました。
最初に出会ったのはシングルマザーを支援する団体で、シングルマザーになった要因が
夫の自死やDVによるケースも少なくなく、体験談を聞いたときのショックは
今も忘れません。

日本では毎年約2万人が自殺し、それをコープこうべの店舗利用者にあてはめると
1店舗あたり毎年2人が亡くなる計算になるんです。
DVはニュースで聞く遠い出来事のように思っていましたが、兵庫県は人口あたりの
DV被害者が全国でも多い地域だそうです。
その他にも子どもの貧困や不登校、孤独な子育てに悩むお母さんの現実も知りました。
今の時代は誰もがセーフティネットから抜け落ちやすく、それを救えない社会である
ことに気づかされたんです。

その一方で世間の偏見や差別意識の根深さも知りました。
本来であれば被害者であり、守られるべき人たちが、逆に責められることもある
そうです。生きづらさを抱える人たちへのアプローチだけでなく、偏見や差別を
なくしていく努力も大切なことですね。
暮らしを守り、健全な社会をめざすことがコープこうべの使命と考え、これからも
活動に邁進したいと思います。

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脇原隆司さんのちょっといい話

特定非営利活動法人 兵庫セルプセンター事務局長兼事業企画部長

障がいがある人の仕事を全力サポート
豊かな人生を地域とともに

 


大学卒業後、一般企業にて企画営業職に
従事。2008年NPO法人兵庫セルプ
センターに入職。兵庫県、神戸市の
共同受注窓口事業の他、障害福祉事業所が
製造する商品(菓子)のレベルアップと
販路拡大を目指すコンテスト「スウィーツ甲子園」
兵庫県内の事業所商品の販売サイト
「+NUKUMORI」等の事業を担当。

 

チャリティーバザーなどで障がいがある人たちの手作り品を見かけたことは
ありませんか。温かみを感じる素朴さと本物志向が持ち味で、
ファンも多いようです。そんな障害福祉事業所のモノづくりを全力サポート
する兵庫セルプセンターの脇原隆司さんにお話を聞きました。

働く願いと事業所の元気を
社会につなげよう

障害福祉事業所の商品はおもにバザーやお祭りなどの地域のイベントで販売
されています。それらが売り上げの多くを占めているのですが、新型コロナ
ウイルスの影響でイベントが中止になり、販売の機会が失われてしまいました。
そんななか、コープこうべに協力をいただき、「つながるマルシェ」という
販売会が各店舗で実現(2021年2、3月)。地域とともに生きる人たちの
つながりだけでなく、自分たちの商品が近所のコープで売られるという喜びと
やりがいが感じられたうれしい取り組みになりました。

兵庫セルプセンターとは障害福祉サービス事業所の仕事を支援する組織で
そのような団体は全国に存在します。兵庫県の場合、平成13年に兵庫県社会就労
センター協議会が授産活動活性化事業を始め、さらに活動を充実させるため、
平成16年に当センターが発足。
「障がいがある人たちの働く願いと事業所の元気を社会につなぐ」を合言葉に、
障害福祉事業所の〝働く〞に関わるさまざまな支援を行っています。

なぜ支援が必要なのかというと事業所での仕事は工賃が低く、自立生活が
難しいという現実があるからです。とくにモノづくり(授産)においては
体制が脆弱です。そのためセンターでは問題解決に向けて障害福祉サービス
事業所の販路拡大につながるさまざまな事業を展開しています。

 

「買ってください」から
「選んでうれしい」商品を

たとえば、事業所でクッキーを作ることになった場合、支援者にクッキーづくり
の得意な人がいて、事業に踏み切るケースが多いと聞いています。
大量生産や機械化をめざしているわけではないので、ハウスメイドの延長です。
障がいのある人が仕事のどこを分担するかは事業所には福祉のプロがいるので、
それぞれで工夫されますが、問題なのは商品の企画や営業が得意ではないことです。
企業ならお客さんが買いたくなるような製品戦略は当たり前なのかもしれませんが、
事業所の状況は少し違います。

吟味した材料を使い、手作りで丁寧に仕上げた商品でも、その魅力を伝えるという
ところが企業ほど上手ではありません。そこで私たちはどのようにすれば、もっと
クッキーが売れ、工賃アップにつながるか、事業所と一緒に考えます。
専門家とのマッチングにより、事業所の技術力・商品開発力等のスキルアップを
めざしたり、プロの手を借りて、デザイン性にすぐれたパッケージを企画するなど、
製品戦略のお手伝いもします。
そのような取り組みの結果、最近では一般と比べても引けを取らない商品が増え、
おいしさだけでなく、「人にも勧めたい」「クラウドファンディングみたいで
うれしい」と評判を呼んでいます。
なかでもお菓子の品質向上と販路拡大をめざすコンテストの「スウィーツ甲子園」は
平成21年度から実施していますが、商品のレベルアップには目を見張るものが
あります。地元の農産物を使うだけでなく、乳製品や酒造メーカーと共同で
開発するなど、地域連携のユニークな商品が話題になっています。

今後も地域とのつながりをこれまで以上に作っていきたいと考えています。
地元企業の困りごとや地域の課題を福祉の側で担うことができれば、仕事開拓になる
だけでなく、地域の活性化に貢献できるかもしれません。
地域と福祉をつなげる企画はまだまだありそうです。

また、コロナ禍における販売方法としてインターネットショッピングにも力を入れたい
と思っています。
すでに兵庫県の委託による「+NUKUMORI(ぷらす ぬくもり)」というサイトを
当センターが運営していますが、販売に特化した内容にとどまっています。
事業所独自のサイトがあれば、頑張っている姿やモノづくりのメッセージを発信でき、
お客さんの声もダイレクトに聞くことができます。そのようなサイトの立ち上げにも
支援していきたいですね。

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宇津井英輝さんのちょっといい話

コープこうべ供給事業本部 買い物支援 統括

「移動店舗」や「買いもん行こカー」で
買い物ができる当たりまえの暮らしを


2003年契約職員として入所、06年
総合職員に登用。協同購入センター三木
協同購入センター丹波、宅配事業部
電力事業TF、協同購入センター但馬、電力事業
を経て、現職。「20代の頃、仕事で悩んでいた
私を力強く励ましてくれた友人がいました。
コープ職員だったその彼の見ていた世界が
見たくて30歳のとき自分もコープこうべへ。
組合員さんの温かさや信頼関係は彼の言葉
どおりでした。この感動は私の宝物です」

 

少子高齢化や地域事情などで、日常の買い物ができなくなってしまった人を
「買い物困難者」といいます。交通手段がない、足腰が弱ったなどで買い物が
困難になる事態は誰にでも起こりうること。他人事ではありません。
コープこうべではそのようなお困りの対策として、さまざまな買い物支援事業
を行っています。担当の宇津井英輝さんにお聞きしました。

移動店舗が
地域コミュニティに貢献

いつの時代も日常の買い物に不便を感じる人は存在したでしょう。
しかしそれが「買い物難民」という社会現象としてクローズアップされたのは
今から15年以上前のことで、ある報告により、高齢者が買い物困難に強いられている
「見えない実態」が浮き彫りになりました。

人口減に伴い、路線バスなどの公共交通機関の減少や高齢者の免許返納などで
移動手段を失うことが要因のひとつと考えられ、買い物に困る高齢者はさらに増加
する見通しです。農林水産省は「店舗まで直線距離で500m以上、かつ、65歳以上で
移動手段を持たない人」を「買い物困難者」と定義しており、地方だけでなく
「オールドタウン化」した都市部での増加も顕著になっています。
想像してみてください。往復1㎞以上、その片道を重い荷物を持って歩くのです…
雨の日も寒い日も。若い人でもしんどいですね。買い物困難によるダメージはそれだけ
ではありません。外出するために服装を整え、近所の人とコミュニケーションをとる
などの暮らしのうるおいも失われてしまうのです。とくに女性は買い物を好まれ、実物
を手に取って確かめたいという方が多いので、買い物ができない苦痛は相当なものだと思います。

コープこうべでは買い物困難の課題に対処すべく、2011年に「移動店舗」をスタート
させました。これは専用車両に生鮮食料品などを積み、決まった場所(停留所)に
週1回、同じ曜日、同じ時間に運行するシステムで、現在、9台が約520カ所/週の
停留所を訪問。約2500人/週が利用されています。車は2トントラックと軽自動車の
2タイプで、2トン車は約800品目を積み、中山間部をエリアとする一方、軽自動車は
約400品目を積み、小回りの利く住宅地を運行しています。
ドライバーは地域や曜日による売れ筋を把握しているので「今日は刺身がよく出るだ
ろうから、多めに揃えておこう」など、ニーズに合わせた品目をその日の朝、新鮮な
状態で積み込みます。

移動店舗は地域から「うちに来てほしい」という要望が強く、小野市市場地区の場合は
行政との3者協定のもと、自治会が中心となり、スタートしました。
事前に自治会が約3,000軒にアンケートをとり、利用したい住民マップをもとに停留所を
決定。地域の愛唱歌を流して到着を知らせ、声をかけあいながら集まってこられるので
停留所はいつも大にぎわいです。自治会の役員さんがお年寄りの介助や袋詰めの手伝い
をされたり、机やいすを出して井戸端会議を楽しむなど、買い物から広がるコミュニ
ティには目を見張るものがあります。
小野市をモデルに、神戸市西区美穂が丘でも同様の取り組みを行っています。

喜びの声が続々!
買い物による相乗効果も

買い物支援の取り組みとして今、もっとも注目されているのが乗り合いタクシー方式の
「買いもん行こカー」です。コープデイズ神戸北町を擁するエリアは坂道が多く、
買い物にお困りの組合員さんが多かったことから、2016年10月に事業がスタート。

店舗から車で20分圏内にお住まいの65歳以上か、障がい者手帳を所有、あるいは
未就学児をもつ組合員さんを対象に自宅までの往復を無料送迎します。
8人乗りのミニバンで巡回し、店舗で約60分買い物をしていただく間に、別のエリアの
組合員さんをピストン送迎するので、車の稼働にロスがないことと、移動店舗のように
車両を改造する必要がないため、展開しやすい事業といえます。
現在、19店舗で17台が運行し、約2,150人が登録されています。
平均年齢は80.1歳、ほぼ女性です。「夫が病気で倒れ、車の運転ができなくなり途方に
暮れていた。本当にありがたい」「運転手さんをはじめ、みなさんと乗るのが楽しい」
など喜びの声が多く寄せられています。独居利用者の安否確認や利用者さんたちの
絆づくりにも役立っています。

また、現在はコロナ禍により行っていませんが、高齢者施設の入居者を「買いもん
行こカー」でお連れし、ボランティアが付き添う「ショッピングリハビリ」では
普段じっとしている方が買い物で歩き回り、生き生きとした表情を見せるなど
リハビリ効果もてきめんです。

これからもみなさんのお役に立つ、買い物支援事業の充実に務めていきます。

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丸尾多重子さんのちょっといい話

特定非営利活動法人つどい場さくらちゃん 理事長

介護者を孤独にしない「つどい場」は
いつの時代も求められるのです


大阪市生まれ。
高校卒業後4年間商社勤務。
調理師免許を取得し15年間東京で働く。
帰阪後10年間で母、兄、父を在宅介護し
看取った。ヘルパ―1級(現、訪問介護員)
取得後2004年西宮市に
「つどい場さくらちゃん」開設。
07年NPO法人化。介護者の孤立を
防ぐことに全力を注ぐ。愛称まるちゃん。
著書に『ボケた家族の愛し方』
『親の「老い」を受け入れる』など。

悩みを聞いてもらうことで、心に背負っていた重石がふっと軽くなる…
そんな経験は誰にでもあることでしょう。「つどい場」は介護に悩む人たちの
交流場所として、各地で特色を生かした活動が展開されています。
その草分けであるNPO法人「つどい場さくらちゃん」の丸尾多重子さんに
活動の軌跡とこれからについてお聞きしました。

一番力をもらったのは
家族会の仲間だった

なぜ、「つどい場さくらちゃん」を作ろうと思ったのか。
そこに行きつくまでには私の長い介護体験がありました。
子どもの頃は大家族で暮らすのが当たり前の時代で、同居の祖母は60代半ばで
認知症になり家族で介護をしていました。
84歳で大腿骨を骨折したときは、認知症患者の付き添いをしてほしいと病院にいわれ
20歳そこそこの私が半年以上、寝食を共にしたこともありました。

祖母が旅立ったあと、私は東京へ。帰阪後、母はがんになり、手術に成功したものの
翌年の阪神・淡路大震災の年に転移が見つかり、9か月後旅立ちました。
その間絶え間ない「痛み」との闘いでした。
母が教えてくれたのは「緩和ケア」の大切さ。
長年、躁うつ病を患い、自死をした兄の教えは、精神科医の処方する
多量の薬にもっと敏感になってほしい!でした。

父が93歳のとき、誤嚥性肺炎になりましたが、奇跡的に快復しました。
「今まで母や兄との同時介護だったが、父1人なら楽勝。
100歳まで生きてもらおう」。そんな意気込みと覚悟を抱きましたが
なんと退院の翌日に父は旅立ってしまいました。
糸の切れた凧とはまさにこのことで、放心状態が半年も続き、
これまでの介護の後悔ばかりが募りました。

父が生きていた頃、認知症の家族会で「もうすぐ介護保険の制度ができる。
これは介護の社会化を進めるものだから、いろいろなサービスが広がるらしい」と
みんなでワクワクしたのに、制度が始まってみると家族を支援するような柔軟な
サービスがなくなり、がっかりしたことがありました。

自分が介護をしていて一番力をもらったのは家族会だったなあと思い出したんです。
家族会でつらさを吐き出すと、介護の苛立ちや悩みがすとんと収まり
仲間から元気がもらえます。家族会のように月1回ではなく、いつでも
気軽に駆け込める場所があれば、どれほど助かることでしょう。
制度がないなら自分で作るしかありません。それがつどい場の原点でした。

 

新しい時代に適合した
つどい場を提案したい

さくらちゃんでは4つの取り組みを行っています。
まず【つどい場】として平日の昼食時、誰でも集える場を提供しています。
本人や介護者、介護職、医療者、行政、学生などさまざまな立場の人が
一緒にご飯を食べることで、いつの間にか本音トークがさく裂します。
不安や悩みを語らい、情報を教え合うにぎやかなひとときが介護者を勇気づけますね。
在宅介護の実態を知る場として視察や勉強に来られることも少なくありません。

とはいえ、真面目一辺倒では行き詰ってしまうので、笑って発散するような仕掛けは
いつも考えています。たとえば、認知症の男性が北新地の常連さんだったと聞き
薄い麦茶をビールにみたて、私たちが接客し大盛り上がりしました。
本人のお人柄や状況をよく知ることで、楽しかった思い出を共有することができます。
そこに介護のしんどさを笑いに変えるヒントがあるのかもしれません。

気分転換も大事なので、【おでかけタイ】の活動では、毎年、国内外の団体旅行に
出かけています。台湾や韓国は観光バスのリフト化や電車に自動のスロープが
設置されているなどバリアフリーの施策が進んでいるだけでなく、街の人は
車いすの高齢者にとても親切です。

このような感動の体験は気持ちのリフレッシュにつながり
生きる励みになるものです。

そのほか、【学びタイ】は実践的な講座を開催し、介護技術の向上や
介護者が元気になれることをめざします。
【見守りタイ】では在宅介護者の支援として、見守りが必要な高齢者の話し相手や
付き添い、散歩などを行っています。施設の高齢者の話し相手になることもあります。

しかし、このたびの新型コロナウイルスがつどい場の活動にも大きな影響を
与えました。さくらちゃんでは換気と密に気をつけながらの昼食を再開しましたが
コロナ禍でつながれなくなった人たちはまだ大勢います。

この状況を打破すべく、ともしび財団の「第4回やさしさにありがとう
ひょうごプロジェクト」の支援のもと、リモートによるつどい場のアプリ開発を行い
新しい時代にふさわしいつどい場を提案していきたいと思っています。

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鬼澤康弘さんのちょっといい話

生活協同組合コープこうべ 環境推進統括

脱プラスチックのシンボル「マイバッグ」は
誰もが楽しめるエコなライフスタイルです

川西市在住。大学時代、トルコ共和国の
歴史を研究するため、約2か月トルコ
全土を放浪し、隣接国すべての国境を
訪ねる。99年度入所。宅配、本部など
数所属を経験し、2019年6月より現部署。
「世界を旅し、見識を深めた経験が、
社会事業に熱心なコープこうべの入所に
つながったのかも。環境問題はライフワーク
でもあるので力が入ります」。
趣味はトライアスロン(毎年大会出場)

「昔は手提げかごを持参して買い物したものよ」と懐かしがるのは昭和の世代。
令和のいま、さまざまな年代がお気に入りのマイバッグに、話の花を咲かせます。
大量の使い捨てレジ袋から脱却し、マイバッグが定着するまでには先陣ともいえる
コープこうべの粘り強い運動がありました。
これまでの歴史とこれからについて鬼澤康弘さんにお聞きしました。

マイバッグ運動は
時代とともに進化した

2020年7月1日からレジ袋の有料化が義務付けられたのをご存知でしょうか。
これは使い捨てプラスチックによる環境への負荷を低減するために省令が改正された
ものですが、遡ること42年前(1978年)すでにコープこうべでは「買い物袋再利用
運動」というプラスチックの使用を減らす運動が始まっていました。
70年代といえば、オイルショックの影響で品薄の不安から、トイレットペーパーや
洗剤などの買い占めが多発し、社会が大混乱した時代です。
このような大量消費のライフスタイルを見直し、モノを大切にしようという反省を基に
進めた取り組みのひとつがレジ袋の再利用運動でした。

当時のしくみは使用済みのコープのレジ袋を再利用するとポイントがたまり
買い物代金が値引きされるというもの。
できることからの取り組みでしたが、徐々に賛同者が増えていきましたね。
1991年には「買い物袋再利用運動」からどんな袋でもOKの「買い物袋持参運動」と
なりました。

その次の転機は阪神・淡路大震災が起きた1995年です。
震災による大量の瓦礫やごみが、改めて資源の大切さを考え、シンプルなライフスタイルを目指す大きなきっかけとなり、同年6月からレジ袋の有料化に踏み切ったのです。
金額は今と同じ5円。レジで支払うのではなく、サッカー台(荷造りスペース)に
設置した代金箱にお金を入れるセルフ方式のため、組合員にとっては受け入れやすい仕組みだったようです。ただ、5円玉の両替でレジが煩雑になるとか、代金の入れ忘れなど少なからず課題はありました。

マイバッグ運動が大きく前進したのは2007年。
レジ袋代金をレジでお支払いただく精算方式へと転換した年です。
前年に成立した「改正容器包装リサイクル法」がレジ袋の削減を焦点にしていたので、
これが追い風になったといえます。
この年、コープこうべは先進性と約30年間のレジ袋削減運動が評価され、
「容器包装3R推進 環境大臣賞最優秀賞」を受賞しました。

コープこうべにおけるマイバッグ持参率は1994年の14%に始まり、1995年は77%、
2007年は87%、それ以降は約90%をキープしています。
持参率の上昇とともに、マイバッグも多様化し、おしゃれに楽しむ人が増えてきました。マイバッグは暮らしに密着したシンボリックな環境運動といえますね。

いただいたレジ袋代金は環境活動に全額活用するなど、コープこうべらしい取り組みも
一方で行っています。例えば、「食と環境」に関する学習会やコープの森・社家郷山(西宮市)の森林整備、新加入組合員にお渡しするマイバッグの製作等の費用として活用し、「見えるカタチ」で環境活動に貢献しています。

〝NEXT〞を合言葉に
もっと環境にいいことを

マイバッグが広く浸透してきたとはいえ、持参率90%前後で頭打ちになっているのが実情です。そこで今年6月から「マイバッグ運動NEXT」として、ギアを上げた脱プラスチックの取り組みをスタートしました。コンセプトは3つ。

1つめは【減らす】。無料でお渡ししていた衣料品や住居関連のレジ袋を有料化し、
生鮮品についてはレジで職員がポリ袋に入れるのをやめ、セルフで備え付けのポリ袋を
使用していただくことで更なる削減を目指します。

2つめは【増やす】。マイバッグをお持ちでない方に「レンタルバッグ※1」(無料)を案内し、袋の必要性を実感していただくことで持参率アップを図ります。
2000年から展開していますが、さらに強化します。
また一部店舗では、家に余っている紙袋を店に持ち寄っていただき、レジ袋代わりに使う「シェアバッグ※2」も実施し好評をいただいています。生協らしい、助け合いのしくみにつながることを期待しています。

3つめは【広める】。
マイバッグ運動がなぜ始まり、どのような変遷を経て、今後どう発展させていくのか。
そのストーリーをポスターやリーフレットを通して伝え、使い捨てプラスチックや
海洋ごみなど、身近な問題について考え、行動するきっかけにしていただきたいと思います。
学校では「SDGs(持続可能な開発目標)」など世界を意識した環境教育が行われています。子ども世代はもっと素直に環境保全の考えを受け入れていくでしょう。そのためにもいま私たち大人がどのような方向に社会を導くのか、真剣に考えたいですね。

※1、※2…一時的に利用を休止している場合があります。

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佐藤知子さんのちょっといい話

一般社団法人子育て園ぽかぽか 代表理事

子どもが住みよい社会は誰にとっても住みよい
そんなあたたかい保育をみんなの力で

西宮市在住。大学卒業後、幼稚園、保育
所、渡独などの現場実践を重ねながら得
た自身の経験から「こどもを中心に集う
さまざまな年齢・立場の人々が、それぞ
れの役割を持ちながら、いきいきと生き
る場づくり」を目指して活動。現在は、
「自然なタテヨコのつながりを広げてい
くには?」をテーマに取り組み中。趣味は
旅行。「ぽかぽか」に集う人々の笑顔を
見ることが幸せ。

自身のつらい経験から幼少期のよりよい環境づくりをめざした保育を追求する
佐藤知子さん。オープンマインドなお人柄が助けあいの輪を広げているようです。
2018年には、団体として当財団の助成制度「やさしさにありがとう ひょうごプロジェクト」を受けられた佐藤さんに、保育所開設のいきさつとこれからについてお聞きしました。

人生の出発点である保育を
豊かなものにしよう

私が高校生の頃、いとこが自ら命を絶つという痛ましい出来事がありました。
相談を受けていた私は自分の無力さに落ち込み、はたして何ができたんだろうかと悩みました。そのショックを乗り越える過程で大学では卒業論文で幼児心理学を専攻し、「乳幼児期の環境がこどもに与える影響」というテーマに取り組みました。幼少期の環境を整え、豊かにしていくことが大事であると考え、保育の仕事をしようと決意しました。

幼稚園教諭を4年勤めましたが、その間に、大学で少し学んだシュタイナー教育を思い出し、勉強し始めました。理論についてはその多くに共感するものの、引っかかる部分もありました。日本の価値観や慣習がそうさせたのかもしれませんが、どうしても疑問を解決したくて、シュタイナー教育の本場、ドイツへの留学を思い立ちました。ドイツ語もしゃべれないのに、無鉄砲ですよね(笑)。
まず、ドイツ語を学ぶため、近くのドイツ語学校を訪ねました。何気なく掲示板を見ると「日本人のお手伝いさん、求む」という現地の求人情報が掲載されていたんです。天啓とはまさにこのこと(笑)。語学も学ばず、そのままドイツへ渡り、1年間、ドイツ人家庭で住み込みで働きながら、日常会話の習得に励みました。
次の年からは、海外からの学生を積極的に受け入れるシュタイナー教育の学校に通って、2年間の修学課程を終えることができました。3年間の海外生活は私の人生において国際感覚や広い視野を養う、いいきっかけになったと思います。

帰国後、シュタイナー教育を実践する小さな園で働くチャンスをいただきました。2年目から園長を引き受けるという思わぬ展開となり、てんてこまいの私を助けてくださったのが仕事の先輩やご近所のシニア世代の方たちでした。私がみなさんをすごく頼りにすることもあってか、園児らがとてもなつき、シニアの方も園児に会うことが楽しみで来園くださっていました。そのような関係が続くことで、自然と地域ぐるみの交流が始まりました。シニアの方たちは必要とされる場所で生きがいを見つけ、子どもたちはさまざまな得意分野を持った大人と触れ合うなど、地域とともに子どもたちを見守る環境はとてもすばらしいと思いました。両親との同居を機に園を辞めることになりましたが、この経験を活かし、自宅で小規模保育施設を始めることにしました。

地域がつながり 共に生きる場づくりを

2003年、西宮市内で0〜3歳まで定員5人の保育ルーム「ぽかぽか」(保育所待機児童施設)を開設しました。この規模だと子どもの多い大家族のようなものだから、自宅でも十分やっていけるんです。私の両親も手伝っていたこともあり、地域のお年寄りも園児に関わりやすかったようですね。父が乳母車を押す姿はご近所の名物でし
た(笑)。その後、市から定員を増やしてほしいと要請され、隣町にある大きな借家に移転。現在、0〜2歳まで定員12人の小規模保育施設「つくし園」を運営しています。
保育事業を始めた当初から可能な限り、発達に困難のあるお子さんを受け入れるなど、地域で共に育つ保育をめざしていますが、そのようなお子さんの特性や能力に応じた、よりきめの細かい支援も必要と考え、児童発達支援「西宮たんぽぽ」を開設しました。現在は、当時空地だった「つくし園」の隣に大家さんの協力で新設いただき、1日定員10人で午前は就学前の児童発達支援事業(クラス)、午後は就学児童の放課後等デイサービスを行っています。

「たんぽぽ」に通うお子さんはまだ小さいですが、保護者の中には「この子は将来自立できるのだろうか」という先の見えない不安に悩んでおられる方も。そこで地域の就労支援事業所と協働し、「施設間のタテのつながりからこどもの将来を考える」シンポジウムを、ともしび財団の「やさしさにありがとうひょうごプロジェクト」助成で
開催することができました。
「実習先のようすがわかり、地域の力を感じた」「見通しを持って考える貴重な体験だった」という感想が寄せられ、地域が自主的につながることの重要性を大いに感じました。今後もこの取り組みを続けたいと思っています。

私たちのテーマに着目され、共感し応援してくださる財団には深く感謝しています。これからもその理念のもと、いろいろな団体が次のステップに進められるよう支援くださればと願っています。

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馬場正一さんのちょっといい話

社会福祉法人兵庫県社会福祉協議会事務局次長

兵庫県を地域福祉への参画と協働の先進県に

 

 


1965年大分県生まれ。同志社大学
文学部社会学科社会福祉学専攻卒。
兵庫県内の市町社会福祉協議会を経て
90年(社福)兵庫県社会福祉協議会の職員に。
阪神・淡路大震災では災害ボランティア・
NGО支援等を行い、「ひょうごボランタリー
プラザ」の立ち上げにも参画。
地域福祉部長、生活資金部長、企画部長等を歴任。
コープともしびボランティア振興財団理事、
兵庫県ボランティア協会理事等を担う。

 

「社会福祉協議会の仕事って、知ってますか。社会福祉を協議する組織ですよ。
それも、兵庫県全域を対象にした協議会の仕事って、なかなか奥が深いですよ」。
そう笑顔で語るのは、当財団の理事でもある馬場正一さんです。
兵庫県社協の役割と醍醐味などについてお聞きしました。

社会福祉の道を目指した
さまざまな思い出

私は大分県の国東半島の田舎町で生まれ、大学進学を機に関西に移りました。
大学の専攻は社会福祉ですが、高校の進学指導の先生から当時はまだあまり知られていない社会福祉の道へ進むことに「進路を考えなおしたらどうだ」等、何度か意見をいただいたのを覚えています。
そんな社会福祉に関心を持ったのは幼少期の出来事が原体験のように思います。
両親は家業の豆腐屋の商売で忙しく、私は「おばあちゃん子」として育ちました。
小学生のとき、学校から帰ると、祖母が倒れているのを発見。近所に住む叔父を呼び、祖母の一命を取り留めたことがありました。
祖母が親戚たちの前で「この子は命の恩人だ」と言ってくれたことは今でも忘れません。「誰かの役に立ったんだ、これからも誰かの役に立ちたい」と思った瞬間でした。

大学では「社会福祉学研究会」というサークルに所属し、ゼミで学んだ福祉理論の追求やボランティア活動を行っていました。
ボランティア活動の一つに同年代の筋ジストロフィの男性の車いす介助があったのですが、あるとき彼が松田聖子のコンサートに行きたいと言うので、車いすで会場に向かったところ、専用通路からスムーズに専用席に案内していただけました。バリアフリーがいかに大切であるかを感じた思い出です。

社協が変われば、地域も変わる
地域が変われば、社協も変わる

行政でも民間企業でもない社協のような中間の組織は、自由な立ち位置で福祉の仕事ができると思い、就職活動は社協一本に絞っていました。しかし、なかなか募集がなく、卒業直前の2月にようやく、県内のある市町社協の募集があり、採用試験に合格することができました。
当時の社協の仕事は、老人クラブや遺族会などの団体事務が半分、葬祭壇の貸出や結婚式場の運営が半分と、目立った地域福祉活動はありませんでした。
「それなら自分がやってやろう」と意気込み、理解のある地域住民と連携し、福祉委員の設置や給食サービスの実施、社協会員会費制度を導入しました。
よそから来た若者が頑張っていると温かく応援してくださる人たちと、社協で働く先輩からの「石の上にも三年」という言葉が心の支えでした。

私が仕事でこだわってきたことは二つあります。
一つ目は、社協は「住民主体の原則」を持っているので、こちらの呼びかけを強制するのではなく、現場の感性や意見を尊重すること。
二つ目は連絡調整に心を砕くことです。社協の最大の役割は何かと問われたら、連絡調整だと思います。これは「中間支援」という言葉に置き換えられますが、いろいろな団体を対等につなぎ、「WIN -WIN」の双方プラスの関係を築いていくこと。三方良しという言葉がありますが、つなげることによって「よい化学反応」を起こしたいです。
その触媒の役割が社協だと思っています。

 

「ほっとかへんネット」で地域のSOSをキャッチしよう

約10年前、NHKが報道した「無縁社会」の実態は私たちに大きな衝撃を与えました。
孤独な高齢者や引きこもる若者・中年、ワンオペ育児に悩む母親など、希薄な人間関係による現代社会の問題が浮き彫りにされました。
これらは誰もが避けられない身近なテーマです。
この状況をなんとかしようと兵庫県社協では「ストップ・ザ・無縁社会」全県キャンペーンを平成24年に提唱し、様々な啓発活動に取り組んでいます。
翌年から、県内の社会福祉法人をつなげる「社会福祉法人連絡協議会(ほっとかへんネット)」の立ち上げに着手しました。
これまで、市区町域では特養や保育など、施設の種別ごとの会合はあっても、「社会福祉法人」というくくりで集まる機会はありませんでした。この取り組みでは多種多様な地域資源がつながり、市区町域でのセーフティネットを展開していくことを目標にしています。「ほっとかへん」を合言葉に、居場所づくりやごみ屋敷問題の解決など、地域の特性に応じた活動が行われています。

そのような地域の課題解決をサポートする組織として、ともしび財団も意義深い事業を行っています。県内にはたくさんの助成団体があり、それぞれのミッションに基づいて活動しています。ネットワークがあれば、重複している部分や着手できていない分野などが解消され、よりきめ細かな支援が実現できるかもしれません。
それぞれの財団の持ち味を活かしつつ、協働できるような仕掛けを考えてみたいですね。

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岡田智恵さんのちょっといい話

コープこうべ宅配事業部夕食サポート統括

地域ぐるみの健康やボランティア活動をアシスト
夕食サポート まいくる は豊かな社会づくりに貢献

 

明石市在住。88年度入所。入所から長らく
店舗業務に携わり、2015年より夕食サポ
ートを担当。店舗勤務が長く、着任当初は
畑違いの世界に戸惑いがあったが、組合
員の玄関先まで毎日届けることのすばらし
さを実感するという。「悪天候でも休みな
く製造、配達ができているチームワークが
すごい。楽しみに待たれる方が大勢おられ
るのはありがたいことです」

 

夕食の宅配を通して地域ぐるみの健康増進や絆づくり、社会貢献活動にも積極的に関与しているコープこうべの夕食サポート事業 まいくる。「ありがとうの言葉をダイレクトにたくさんお聞きできる部署。毎日がドラマのようです」と岡田智恵さんは言います。まいくる にまつわる、おいしくって素敵なエピソードをお聞きしました。

食事が届く安心とおいしさ
健康面のメリットもぜひ

まいくる は2011年にスタートした、夕食をご家庭までお届けするサービスです。9年目を迎え、この間さまざまな変化がありました。現在もスタート当初と同様に高齢者の利用が大半ですが、ここ数年は共働き・子育て世帯やアクティブシニア層の利用も増えています。どの利用者さんにとっても、栄養バランスを考えた調理済み弁当が毎日届くことは日々の安心につながるのだと思います。

支持される理由はそれだけではありません。まいくる のおかずはこだわりの出汁を使って手作りで調理されているので評判がよく、満足感も大きいようです。
味の良さが認識されるに従い、求められるレベルもどんどん上がり、日々様々な感想が寄せられます。要望にはできるだけすぐにお応えし、今すぐには応えられないものでも「いつか必ず」という気持ちで取り組んでいます。
例えば、要望の多かった土日の宅配(一部地域)や冷凍タイプのおかずの宅配を実現できたことも、そのひとつです。

製造とメニュー開発は事業開始当初からコープこうべの基準をクリアしたコープフーズが手がけています。利用者さんに喜んで食べてもらいたいという気持ちから、見た目や盛り付け、季節感を大切に作っているので、「そこまでやるの!」と驚かれることも。
たとえば、七夕の日は星形に切った人参をちらし寿司に飾り、子どもの日には小さな柏餅、彼岸はおはぎ、ハロウィンにはかぼちゃのおかずなど、ひと手間を添えています。食べ続けていくうちに、そんな家族を思いやるような作り手の気持ちにじんわりと気づかれるでしょう。

それに加え、4月の誕生祭と10月の感謝祭の時期は2週間特別メニューが続きますが、サプライズとして各1回ステーキが登場します。
実は私も商品チェックを兼ねて、まいくる を利用しているのですが、このときはとてもうれしくおトクな気分になります。また夕食の量が決まったせいか、1年半で自然に2キロ痩せ、私の場合の健康面のメリットは「これか」(笑)と実感しています。

助け合いの精神は宅配や
ボランティア活動でも発揮

宅配を担うのはサポーターと呼ばれる地域の組合員さんです。
誰かの役に立ち、時間も有効活用できる仕事として募集したところ、定年退職後の男性が多数応募され、今も引き続き元気に活躍されています。

お弁当の宅配は毎日ですので、サポーターさんは利用者さんの変化に対して感度が高く、気づきも多いと感じています。つい先日も、サポーターさんが独居の利用者さんの異変に気づき、すぐに救急車を呼びました。
先ほど娘さんから「発見が早かったため、事なきを得ました」とお礼の電話を頂戴したところなんです。まいくる では利用者さんとなるべくコミュニケーションを図るという目標を掲げており、また毎日顔を合わせるということもあってか、家族のような濃い関係性を築けているのかもしれません。

しかし宅配事業はどこもそうですが、人手不足が顕著な業界です。
9年前と比べて定年年齢が伸びたり、退職後も働ける場がたくさんあるということもあってか、人員確保が厳しい現状です。しかし、サポーター制度は、まいくる のシンボリックな存在なので、どうしても残していきたいと考えています。

そこで新たなサポーター制度を構築すべく、試験的に行っているのがグループによる宅配です。一人で週5日配達するのではなく、グループ内で調整しながら分担するというもの。三木市では地元のNPO法人に宅配をお願いしているエリアがあり、3人のグループで配達しています。これをモデルケースに他地域でも活用できればと考えています。

また、まいくる の取り組みで知ってほしいのが1食につき、0・5円がコープともしびボランティア振興財団への寄付になること。これらが積もり積もって毎年約100万円程が兵庫県内のボランティア活動への助成に使われています。

おいしく食べて社会貢献できる まいくる を、これからもたくさんの方に利用していただきたいですね。

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ まいくるサポーターさん 募集!
ご興味のある方は、 0120-44-3100(くらしの情報センター)までお電話のうえ
「ともしび通信を見て、まいくるサポーター募集の件で」とお伝えください。

まいくるに関するお問い合わせ・お申し込みも上記番号へお電話ください。
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ともしび通信100号 記念特別インタビュー

望ましい地縁型とテーマ型の活動の融合

~第3次中期計画を語る~

藤井 博志さん
関西学院大学人間福祉学部 教授
当財団理事・第3次中期計画策定委員長

世帯ではなく、個人がつながっていけるコミュニティを

山口 当財団の今後5年間の指針となる﹇第3次中期計画﹈が完成し、藤井さんには委員長としてお力添えいただきました。
この計画を作るにあたり、今の社会の変化をどう捉えていますか。
藤井 日本は人口減少期に突入していて、少子高齢化が顕著です。長寿は喜ばしいことなのですが、問題は少子化です。20年後には3人に1人が65歳以上の高齢者となり、あらゆる場面で担い手の不足
が予測されます。もう一つは単独世帯の増加です。家族内で解決していた暮らしの課題を一人で抱え込むことになり、深刻なケースが目立っています。
山口 時代の曲がり角ではなく、もう曲がってしまっているとは…。暗く厳しい世の中が待っているのでしょうか。
藤井 これまで経験したことのない社会が待ち受けていることは確かです。かといって厳しさに怖気づいては生きていけません。みんなで知恵を出し合うことが大切です。
山口 これまで地域を支えてきた老人会や婦人会、こども会などの参加者が減り、休止や解散するところもあります。地域で知恵を出し合う手がかりがなくなっているような気がします。
藤井 これまで特に日本の郡部地域では3世代のムラ型コミュニティが中心で、都市部でもその延長で地域を支えてきました。これらは世帯単位のつながりでした。しかし、これからは従来の世帯単位
ではなく、個人がつながっていけるようなコミュニティに作り直すことがポイントになってくるでしょう。

誰もがどこかで関われる多様なチャンネルを

山口 日常は希薄な近所付き合いであっても、災害等が起きるとお互いがエネルギーを出して助け合いますよね。そのような緊張感を意識することも必要でしょうか。
藤井 人が協同するのに、外からの脅威で助け合うことと、夢を持ってつながることの2つ要因があると思います。しかし、脅威や不安だけでは人はつながりきれず、一緒に夢や希望に向かっていくことで、つながりは長続きします。不安を希望に変えていく転換の取り組みも必要です。
山口 それについては個人の熱量に頼らず、社会のしくみとして助け合いを深める手立てがありますね。
藤井 今、特に若い世代を中心に経済的格差が広がっています。結婚したくてもできないとか、子どもを持てないなどが少子化の一因になっており、この部分への資本の投下が圧倒的に不足しています。
若者や子育て世代への支援を社会のしくみとして作り上げていかないといけません。その事実にようやく国民が気づき始めました。この取り組みの効果をもっとも実感できるのは地域コミュニティなん
です。地域で子育てを応援すれば、親子が元気になり、高齢者も活力をもらえます。そこから多世代型のつながりや、話し合いの場が生まれ、知恵も出てきます。
山口 そういえば、最近は「子育て」などをテーマに地域を超えて活動するグループが増えています。従来型の地縁組織でなく、このようなテーマ型のコミュニティがますます有効になっていくような気もします。
藤井 地域には、自治会や町内会など、地縁でつながっているコミュニティがあります。一方、テーマ型コミュニティは地理的な要素は二の次ですが、その人たちも地域コミュニティの中で生きているので、ひとつのテーマで活動していくうちに地域との共通点に気づくことがあるでしょう。いろいろなつながり方のチャンネルが地域に用意されていることが重要です。地縁を大切にしながらも、テーマ型コミュニティが地域に根差していく。この2つの融合するところにこれからのコミュニティのあり方、地域社会の姿が見いだせるように思います。それらがやがてネットワークという形に発展するでしょう。ともしび財団が、新たにこうしたネットワークへの助成も考えていくことも必要でしょう。

人々の交流が知恵と活力を生み出す

山口 財団では、年に一度、助成を受けている団体が一堂に会する「市民活動交流会」を行っています。回を重ねるごとに交流が盛んになり、新しいネットワークができていくような気配を感じます。
藤井 ともしび財団が助成しているのは地域で地道に活動をしている団体で、中高年層を中心に地域をよくしたいという願望が強く、とても熱心です。つながろうという意欲もあり、市民活動交流会は
それを実現させるよい取り組みだと思います。一方、子育て世代は生活のことで精いっぱいで、世の中をよくしたいという意識を持つ余裕はなかなかありません。しかし自分たちの子どもが安心して暮ら
せる地域であってほしいというニーズは非常に高いです。子育てをテーマにした活動を進めていくことが若者支援につながり、地域課題への関心を呼び起こすように思います。
山口 地域で活動している高齢者の努力や知恵を知ると先輩への尊敬の念や人生に対する希望が出てきますね。
藤井 高齢者がこれだけ地域を支えていることを若者はほとんど知らず、大学のゼミで地域活動の見学をすると学生たちはすごく感心します。生き方のモデルになるという意見も聞きます。
山口 そのようなモデルを若い人たちにたくさん紹介できればいいですね。
藤井 それには交流がもっとも有効だと思います。
山口 ボランティアというとしんどいところを苦労して支えている、という印象を持たれることがありますが、活動の担い手は夢や希望を掲げ合って前に進むことが必要ですね。
藤井 「自分たちはここまでやれている」という承認や評価はとても大切です。なかなか身内では評価しにくいので、そういう場をともしび財団に作ってもらうと団体が元気になっていくと思います。
山口 誰もが夢や生きがいを持てる社会の実現に向けて、ともしび財団は皆さんと一緒に歩んでいきたいと思います。これからもご指導をよろしくお願いします。

≪聞き手≫
公益財団法人コープともしびボランティア振興財団
理事長 山口一史

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末永美紀子さんのちょっといい話

特定非営利活動法人こどもコミュニティケア 代表理事

誰もが通えるこども園はみんなの願い子どもたちに豊かな時間を

看護師、保健師を取得後、和歌山県立医科大学付属病院、兵庫県立こども病院に勤務。出産退職後[ちっちゃな保育所]を開設。保育士、認定心理士資格を取得。2008年NPO法人化。09年[ちっちゃなこども園にじいろ]に移行。ナースオブザイヤー2012『インディペンデントナース賞』受賞。15年[ちっちゃなこども園よつば]、児童発達支援&放課後等デイサービス[て・あーて]を開設。2019年放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。

 

看護師、小児科の病棟看護師の経験から、医療的ケア児や障がいのある子も一緒、長時間保育による手作り夕食等、多様なニーズに応え、家庭的な保育園を運営する末永美紀子さん。当財団の「社会人の学びと研究助成」対象者でもある末永さんに開設の経緯や研究内容についてお聞きしました

看護師の経験から必要とされる
保育園をつくった

母が保健師だったので、自然と同じ道に進み、小児科の病棟看護師として働きました。勤務は三交代制のため、子育てしながら夜勤をこなすのは大変なこと。祖父母など家族のサポートがないと続けられず、辞めていく先輩たちを残念に思っていました。また、看護の現場では、退院後の子どものケアに戸惑うお母さんたちの姿を目の当たりにしました。社会に放り出された気持ちになるといいます。医師の「風邪をひかせたらあかんよ」のひと言がすごいプレッシャーになり、親子で引きこもってしまうことも。そんなお母さんこそ、リフレッシュが必要なのに、医療的ケア児や障がいをもつ子を預かってくれるところはほとんどありません。
ちょうど自分が出産したことを機に、病棟看護師を退職。子育てしながら地域や医療界に貢献できる仕事を考えていました。高校時代に交換留学したアメリカで「自宅で子どもたちを世話するデイケア(小規模保育園)」を見聞きした経験をもとに2004年、自宅の1階で﹇ちっちゃな保育所﹈を開設。医療的ケア児や障がいをもつ子も一緒に育つ保育園、長時間保育で働く親のサポートができる保育所を実現しました。さらに、毎日、手作り夕食を提供するなど、子どもの生活リズムや健やかな成長を一番に考えた取り組みも行いました。
認可外保育施設のため、保育料は高めでしたが、定員( 12人)はいつもいっぱいで、社会のニーズを実感しましたね。スタッフは数人いましたが朝7時半から夜8時までの13時間半、ずっと保育所にいるのは私だけ。洗濯、料理、保育、看護、事務作業など何でもやりましたよ。お金の苦労はあったけれど自分の子育ても一緒にできたので楽しかったです。

共生保育をもっと社会に
そのお手伝いがしたい

保育所を作った自宅は5年の定期借家だったので、その後の場所をすぐ探さなくてはなりませんでした。物件探しは難航しました。大家さんに「保育所に使う」と言うと騒音や建物の傷みへの懸念などで断られることが数多くありました。「おうち」のような家庭的な環境でありながらもスタッフの休憩室もほしい。ある程度の広さが必要なため、思い切って、自宅兼用の一軒家を新築。2009年 ちっちゃなこども園にじいろ として開設しました。定員を増やしたものの、スタッフの数も増やす必要があるため、赤字は膨らむばかり。限界を感じ、理事会で休園を決定したこともあります。ちょうどそのころ神戸市の保育ママ事業(その後「子ども子育て支援法」による小規模保育事業に移行)を活用することで運営が安定してきました。
ひと息ついたものの、子どもたちの成長に伴い、施設が手狭になってきたことと、スタッフの規模が課題でした。10人程度ではキャリアのバリエーションに乏しく、若い職員のロールモデルが少ないと、夢を描きにくいと感じました。事業の拡大や種類を増やすなどでスタッフの母集団を大きくすれば、ポジションの変更や補い合いなどができ、自己の成長を促すとともに、チームワークがしやすいのでは。そのような理由から、2015年に小規模保育、認可外保育、障がい児通所支援の3施設一体の建物﹇神戸ともそだちの丘﹈を新たにつくりました。現在、50人ほどの幅広いキャリアのスタッフが子どもたちとご家族に寄り添い、豊かな生活のお手伝いをしています。
世間では医療的ケア児や障がいのある子どもとの共生保育について「リスクが高い」ように言いますが、私たちは具体的に「どんなリスクとその対処があるのか」を常に考え、話し合っています。共生保育が増えない理由にこのような認識のギャップをあると考え、保育分野のリスクとそのマネジメントを分析、体系化について、ともしび財団の支援を受け、大学院で研究しました。誰もが通えるあたたかいこども園は保護者の願いであり、子どもが子ども社会に参加する基本的人権です。共生保育の必要性を多くの人に知ってもらい、これから取り組みたい人の応援になればと思います。

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重森健太さんのちょっといい話

関西福祉科学大学保健医療学部教授

どの年代の人も運動習慣は大切なこと
脳が鍛えられ、認知症予防に効果的

関西福祉科学大学保健医療学部リハビリテーション学科・教授。1977年生まれ。 理学療法士.聖隷クリストファー大学大学院博士課程修了〔博士(リハビリテーション科学)〕。聖隷クリストファー大学助教 などを経て2011年4月より現職。2014年同大学学長補佐( 地域連携担当)、 2015年玉手山学園地域連携センター長を歴任。著書に「走れば脳は強くなる」(クロスメディア・パブリッシング)など。

「ちょっときつめの有酸素運動をすると脳内の血流が促され、認知症予防や改善に効果的ですよ」と語るのは地域理学療法学、早期認知症学の専門家・重森健太さんです。運動習慣の重要性とその内容ついてお聞きしました。

有酸素運動で
脳の神経細胞が増えた!

人口の高齢化は世界的な傾向で、とくに先進国では増え続ける認知症にどう対処するかが大きな社会問題になっています。認知症予防や改善の研究は以前から盛んに行われていますが、2010年にイリノイ州立大学のエリクソン博士が有酸素運動をある強度で一定の割合で行うと脳の海馬と呼ばれる部位の血流がよくなり、神経細胞が増えることを証明しました。このことから、運動が認知症に効果的であると広く知られるようになりました。すでにマウスの実験で運動が脳の神経細胞を増やすことはわかっており、認知症予防に運動は有効という仮説はありましたが、ヒトの脳の神経細胞が増えることをデータではっきり証明されたのは衝撃的でしたね。
認知症でもっとも多いアルツハイマー型認知症は、脳にアミロイドβというタンパク質が蓄積し、7〜10年後に発
症するといわれています。私の主催するウォーキング教室でも、週3日1日30分のウォーキングを1年間継続してい
ただくと、アミロイドβに変わる前の酵素の減少が認められています。運動習慣が体を変え、脳にいい影響を与えることを強く実感しています。

なるべく若いうちから
運動習慣を

私自身、小さい頃から運動が得意で、NHKの体操のお兄さんを目指していましたが、水中トレーニング指導の場面を見学したことをきっかけに理学療法士を知り、その道に。長崎大学と長崎大学病院で、研修しながら、老人保健施設で理学療法士として勤務していました。当時は介護保険制度が導入された翌年のことで、まだ地域の理学療法が確立されておらず、大学病院で研修する私にとってまさに実践の場。日本ではまだ導入されていなかった「365日リハ」を掲げ、回数を制限せず、自主トレメニューに取り組んでもらうとこれが大当たりで、みなさんどんどん良くなり、在宅復帰率が上昇していきました。家族や他のスタッフの協力も大きかったですね。この分野は本当におもしろいと思い、研究を続けてきました。
60、70代でも運動を始めれば認知症改善に有効ですが、若いうちから運動すればもっといいですよね。運動習慣があれば生活習慣病自体がかなり減り、医療費の削減はもちろんのこと、高齢者の虚弱もずいぶん減り、介護問題に貢献できますね。30、40代を運動習慣のある世の中に変えていきたいというのが私の願いです。
有酸素運動はウォーキングか、走れる人は軽いランニングを。ちょっと汗ばむ程度といわれますが、正確に表現すると、最大心拍数の70%強度(220 -0.7×年齢)で約30分運動するのが理想です。これは案外きつく、街中で見かけるウォーキングの速度はたいてい遅い感じがします。

今から始めよう
脳を鍛えるトレーニング

室内でも簡単にできる運動を紹介しましょう。背筋を伸ばし、太ももを高く上げる足踏み運動や踏み台昇降、エア縄跳び(縄なしで跳ぶ)など、1日1分間続けることを目標にします。体と頭を同時に使う二重課題(ひとりジャンケンetc)や、体の左右で同時に違う動きをする拮抗運動(右手はグーにして突き出し、左手はパーにして胸に当てるetc)は集中力を高めることにつながります。
脳を若返らせるには精神的なアプローチも欠かせず、「させられる」ではなく「したい」という思考を。夢や目標を持つことも大切ですね。私の両親は学校の教員を早期退職し、地域の居場所づくりに取り組んでいます。そのイキイキとした姿に私の方が刺激をもらっています。
高齢になっても地域で活躍できることは、健康の秘訣かもしれませんね。ともしび財団は、地域をよりよくする活動を行っているさまざまな団体を応援されています。今後もその活動に期待しています。

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梶木典子さんのちょっといい話

神戸女子大学家政学部教授・日本冒険遊び場づくり協会副代表

「やってみたい!」を実現できる
冒険遊び場は子どもの心身を育み、
まちの活性化に

奈良女子大学大学院人間文化研究科 修了、博士(学術)。神戸女子大学家政 学部教授。特定非営利活動法人日本冒 険遊び場づくり協会副代表、IPA(子ど もの遊ぶ権利のための国際協会)日本 支部事務局長、神戸市教育委員、兵庫 県青少年愛護審議会委員、神戸市公園 緑地審議会委員、「やさしさにありがと う ひょうごプロジェクト」選考委員等。

 

「近所の公園に集まって暗くなるまで遊ぶのが昭和の子どもとしたら、平成はアポを取り、習い事の合間に遊ぶ時代」。こう語るのは地域居住学の専門家・梶木典子さんです。子どもたちを取り巻く環境やこれからの子どもの遊び場、当財団への期待についてお聞きしました。

留学・震災の経験から
子どもの遊び環境の研究者に

住まいに興味のあった私は大学で住居学を専攻し、総合建設会社に入社。まちづくりに関わる業務に就いていました。結婚を機に仕事を辞め、海外留学する夫とともに渡米し、自分も大学院で都市計画を勉強しました。子どもの遊び環境に関心を持ったのはある幼い女の子との出会いから。アメリカは車社会でとくに郊外に住む子どもは自分の意思で自由に遊びに行ける環境ではなく、彼女も長い夏休みを持て余していました。一緒に遊ぼうと声をかけると、うつろな表情が一転し、目がキラキラ。子どもは勝手に遊ぶものと思っていた私にとってこの出来事は衝撃的で、子どもが遊ぶのに大変な社会ってどうなっているのだろうと思いました。
帰国後、大学院の後期課程に入り、在学中に出産。子どもが生後4か月のときに阪神・淡路大震災に遭いました。自宅マンションは半壊になり、しばらく実家に避難し戻ってきたものの瓦礫のまちではベビーカーは使えず、公園には仮設住宅が建ち、外遊びのできる環境ではありません。知り合いもおらず、親子で居場所を探しさまよっていました。孤独な育児でしたね。そんな経験から子どもの遊びに関わる研究をしようと決心しました。

冒険遊び場づくりの活動が各地に
遊びを届けるプレーカーに注目

大人は「子どもは放っておいたらどこでも遊ぶ」と思いがちですが、自由に外遊びができる環境でしょうか。公園は禁止事項が多く、道路は危険。習い事で忙しいので、細切れの時間しかありません。タテの関係づくりも難しいため遊びの伝承もなく、「子ども社会」が形成されにくくなっています。そんな状況に危機感を覚えた人たちが1979年、海外の冒険遊び場をヒントに羽根木プレーパーク(世田谷区)を開設。以降、全国各地でさまざまな冒険遊び場が作られるようになりました。共通するのは遊びを支援する大人(プレイワーカー)がおり、木登りや水遊び、土などを使った創造的な遊びや子どものやりたい遊びが思いきりできること。チャレンジしたり、工夫できる要素が多いので、やった!できた!という達成感が心に残りますね。
最近注目している遊び場として、移動型の冒険遊び場があります。遊び道具等が積み込まれた車をプレーカーと呼び、プレイワーカーが出張先で冒険遊び場を開設します。東日本大震災や熊本地震など大きな災害があったとき、遊びによる子どものケアとしてプレーカーが被災各地で展開。その機動性の高さから日常においても活躍の場が増えています。冒険遊び場に行きたくても行けない子どもがいるので、プレーカーが月1回でも近所に来たら、子ども達はふだんできない自由な遊びができます。子育てに悩む親も子どもの遊ぶ姿を見て安心しま
す。
私が理事をしている日本冒険遊び場づくり協会は、地域住民による遊び場づくり活動の中間支援を行っています。冒険遊び場が常設されているエリアには子育て世代の移住者が増えているという話も聞きます。遊び場づくりはまちづくりにもつながる活動で、私はここに魅力を感じます。日常生活の中に、子どもたち
の姿を感じ、子どもの遊ぶ声が聞こえ、笑顔があふれることの大切さを多くの人と共有できる、そんなまちであってほしいと思っています。
ともしび財団にはとりわけ若い人たちの活動に力を入れてほしいと思います。助成を受けたある若者グループは「自分たちの活動はまだこれからだけど、コープに認められたことがとても励みになった、もっと頑張りたい」と話
してくれました。頼もしいですね。財団の助成をきっかけに大きく羽ばたいてくれたらいいなと思います。誰もが安
心して暮らし遊び心あふれる社会をめざすために、きめ細かな支援をこれからも期待したいですね。

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